2005-01-01から1年間の記事一覧

凍死する南京市民、「哀れな支那人ですね」と記す日本軍兵士(68周年の日に思う)

68年前の今日、つまり1937年の12月13日、南京は日本軍に占領され、いわゆる「南京事件」もこの日から始まったとされている(なお私は12月12日、あるいはそれ以前から同事件は始まっていると考えている)。68周年の日ということだが、特別なエントリは準備し…

南京事件は、日本軍の「自国兵士への虐待」から始まった

さて、南京侵攻の途上のことについて。 第十軍の憲兵、上砂少将の発言については何度も引用してきたが、これはある価値基準からすれば「日本軍による日本軍兵士による虐待」だと言って過言ではないように思う。とりあえず某所での拙投稿を引用して、問題提起…

1937年12月1日=南京侵攻開始の日だが、実は…

1937年12月1日、南京侵攻が「正式に」日本軍の命令として中支那方面軍(上海派遣軍+第十軍)に下命される。ただし第十軍は11月15日には独断で杭州から南京への侵攻を決定していた(これは軍中枢から指示された制定線、つまりこれ以上内陸に侵攻するなという…

国立戦没者追悼施設をめぐる「倒錯」、あるいは「同胞の死」を切り捨てる一部ナショナリズム

そして、このような「他者恐怖」に基づくナショナリズムは、ナショナリズムとしても質的劣化を起こしている。 それは、いくつかのブログで見られる「国立戦没者追悼施設」に対する(過度に)否定的なスタンスであり、その主張が「中韓に屈する形で計画されて…

「ベッタリ」ナショナリズムと「動員」への批判力の低下

私はこう述べた。 しかし、ナショナリズムが韓中や嫌韓感情、他者恐怖に依存することによって、内部の対立や敵対、緊張関係について鈍感になっていく傾向も既に現れているように思う。そういう現象をとりあえず〈「ベッタリ」ナショナリズム〉と呼ぼうと思う…

今後の構想?

このような傾向の中で、南京事件否定派、とりわけ東中野修道氏の「なすりつけ史観」(←造語)が果たしている位置・役割について考察する…というところまで今年中にやって、来年は「じゃあそういう局面でどう発言するのか」を本気で考える…こういう流れを考え…

「ベッタリ」ナショナリズムの生成プロセス

ここ数日、2つの仮説を同時に議論しているので、いったん整理を行いたいと思う。 2つの仮説というのは 「ナルシシズム」→靖国や歴史修正主義に傾倒 他者恐怖→「ベッタリ」ナショナリズムに傾倒だが、この2つの流れは相反するものではなくて、大枠で他者恐…

靖国と「お礼・感謝」のナルシシズム

靖国にお礼に行く 今の平和は靖国に祀られている死者のおかげだ この手の言説の因果律の奇妙さについては既にdeadletterさんのブログで 「今の平和は靖国に祀られている死者のおかげだ」という論理は、社会科学的な因果律としてナンセンスであり、単なる信仰…

「日本」内部の「裂け目」を認識させるとができるか?

最後はapemanさんの問題提起を丸ごと転載なのだが、これは自分の課題ともしたいので、あえて丸ごと転載です。 (apemanさん ) >「内部」は極めてナアナアでベッタリした空間というのもフィクションであって、日本と中国の関係では日本が「殺しに出かけた」…

他者恐怖と「ベッタリ」ナショナリズム

今度はApes! Not Monkeys!にお出かけ。 http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1172174836/E2139103754/index.htmlapemanさんの以下の発言は実に鋭い。 (apemanさん ) 彼我にあれだけの犠牲者を出した戦争について「仕方がなかったのだ」…

だらしない思考(当事者性の欠如、当事者性の蒸発)

コメントの転載です。肉付けする点はいろいろあれど、とりあえずエントリ。 11月4日コメント欄より。 # apesnotmonkeys 実は hokusyu さんの問題提起がいま読みかけの本と重なりあうのでコメントさせていただこうかと思いつつ、つい書きそびれておりました…

やむをえなかった論

「自称女ロケンローラー・ユリアの日記 久々に熱く語る。国立追悼施設って・・・何?」での議論の続き。 (青狐) 戦争指導者をきちんと憎んでいますか?きちんと糾弾していますか?靖国に行ったときに、きちんと糾弾していますか? 戦争指導者を「憎むこと…

物語を得るために自ら騙される、ということなのだろうか

以上の応答について、当ブログでapesnotmonkeysさんとdeadletterさんからコメントをいただく。 # apesnotmonkeys 『>日本の犠牲についてはどう思われてるのですか?今の平和は何の上に成り立ってると説明出来ますか?これは(首相の)靖国(参拝)を支持する…

戦死者の犠牲の上に今の平和がある、という因果律は成り立たない

3番目の論点。 (要旨)今の平和は何の上に成り立ってると説明出来るか (青狐) 簡単な話、戦後の日本が「戦争をしない」ことを判断してきた結果でしょう(アメリカにずっと軍事占領されていることを含めて)。戦死者の犠牲の上に今の平和がある、という因…

愛国者を自認する人は戦争指導者たちを憎んでいますか?

次の論点。 (要旨)毎年数回靖国神社に行く お礼に行く 「今の平和は貴方方の犠牲の上に成り立ってる」と。 (青狐) お礼の前に「平和な人生を生きることが出来たはずなのに。慚愧に耐えません。私は、あなたを死に追いやった愚かな指導者たちを憎みます」…

彼らは「日本のため」に死んだのではなく、「日本のためだと騙されて」死んだのでは?

「自称女ロケンローラー・ユリアの日記 久々に熱く語る。国立追悼施設って・・・何?」での議論の続き。論点ごとに整理してみた。最初の論点。 (要旨)日本の犠牲についてはどう思うのか (青狐) 結論を言えば、戦争で命を落とす必要はなかった。そして、…

ロケンロール愛好家同士(笑)の議論

最近、別のブログで議論をしている。自称女ロケンローラー・ユリアの日記 久々に熱く語る。国立追悼施設って・・・何?*1 南京事件の話を端緒にしつつ、議論の重心は 日本の犠牲についてどう思うか 今の平和は何の上に成り立ってると説明出来るか いつまでも…

10月30日のコメント欄の続き…論点整理

bluefox014 『青狐です。少し投稿間隔が開き気味ですみません。 大きな論点がいくつもあるようなので、私なりの整理を試みます。 第一の論点は、徴兵した兵士(人命)を徒らに「投機」につぎ込んでいいのか否か、という点です。 国民国家は国民から税金を徴…

私を競売台に立たせないでおくれ

『No More Auction Block』の歌詞をネット上で見つけた。http://www.jca.apc.org/stopUSwar/notice/blowinginthewind.htm わたしを競売台に立たせないでおくれ もういい もうたくさんだ わたしを競売台に立たせないでおくれ おびただしい数の人が売られてい…

日中戦争は「投機」か? 兵士の生命はルーレットのチップだったのか?

ボブ・ディランの「風に吹かれて」は、アメリカの奴隷黒人の伝承歌『No More Auction Block』」のメロディを引用しているという。ディランの「いつになったら気がつくのだろう overkillだと」という言葉は、「競売台はもういやだ」という黒人奴隷達の声に重…

「愛」だからこそ残酷だったりもするわけだ。手放しに賞揚することはできない。

あるブログのコメント欄で、愛国心についてコメントしたのだが、ひょっとするとこういう発言があまりないのかもしれないので転載する。まあ、陳腐なことしか言っていないのだけど。 さて、本論の愛国心に関して思うことを述べます。私は「愛国」の「愛」とい…

A級戦犯である前に、戦争指導者でしょ?

靖国問題に関する発言をざっと読んで感じたこと。1;A級戦犯である前に、戦争指導者でしょ?2;中国に対して「太平洋戦争は自衛戦争だった」と言ってどうする。自衛性を言いたいのなら「日中戦争は自衛戦争」だったのか否かが論点でしょ?※ただし、「冀東…

南京事件時の日本軍の規律について、日本軍高官の認識

total_ecipsさんは拙ブログ10月25日コメント欄で、 # total_ecips 『しかし、1番大きな違いは我々の方がより客観的な視点から歴史認識をしていると自負している点です。 と自負を述べておられるが、いっぽう10月11日のコメント欄ではこういう発言をしている…

悲しい風潮

opemuさんの的確な指摘。 結局、最近の南京大虐殺否定論というのは、歴史学的な話題というよりも、中国批判のツールとしての意味合いが強いわけで そこからさらに、南京事件自体を直視しない、あるいは直視しなくていい、という雰囲気が醸成される。 その雰…

南京事件を子ども達にどう伝えるか、という難問

とあるブログで靖国問題〜南京事件関連を含む議論があり、私が入れたコメントに対しブログ主さんからレスをいただいた。 >青狐さんはじめまして。コメント有難うございます。本当の情報って何なんでしょうね。 子供達になんて説明すればいいんだろうって思…

遅レス予告

とほほさんからコメント、uumin3さんからトラックバックをいただく。 遅レスになるかもしれませんが…

ナショナリズムとナショナリズム運動(メモ)

分けて考えると便利なのではないかと思う。

私たちには圧倒的に情報が欠けている

またまた突発的な、しかも書きなぐりになってしまうけど、靖国問題とかを議論するとき、私たちは過去についての知識や情報に留意したり参照したりしながら考えるわけだけど、私はそういうとき、つねに知識や情報の「ねじれ」のようなものを感じてしまうのだ…

南京事件とナショナリズム、あるいは愛は盲目、または見せないでおくのは愛のため?

いったんエントリしましたが、話題が拡散しそうなので今日はお蔵入りします。後日公開予定。

ナショナリズムって、こんな大仰なお話でしたっけ? (2)

まだ頭の中が雑然としているのだが、とりあえず続き。 「ナショナリズムって、こんな大仰なお話でしたっけ?」という問いを立てたのだが、なんだか「ナショナリズムは大仰でしかありえない」ような気がしてきた。少なくとも今の日本では。 「愛」という言葉…