愛国者を自認する人は戦争指導者たちを憎んでいますか?

次の論点。

(要旨)毎年数回靖国神社に行く
お礼に行く
「今の平和は貴方方の犠牲の上に成り立ってる」と。

(青狐)
お礼の前に「平和な人生を生きることが出来たはずなのに。慚愧に耐えません。私は、あなたを死に追いやった愚かな指導者たちを憎みます」という気持ちを伝えていますか?
私から言えば、それこそが真の同胞を思いやる心、「愛国心」だと思いますが。そういう気持ちを強く持たない人に、「愛国心」があるといえるのか、私は常々疑問に思っています。

そう言えば靖国には、多くの兵士を死に追いやった愚かな指導者たちも合祀されていますね。間違っても彼ら戦争指導者に「お礼」などしていないでしょうね。(東京裁判の是非とはかかわりなく)、彼ら戦争指導者に「お礼」などしたら、数百万の兵士の霊は(冗談ではなく)怒り出すと思いますよ。

「同胞」の死を悼むなら、「同胞」を死地に追いやった戦争指導者を糾弾すべきだろう。しかし靖国神社は「同胞」と「糾弾すべき戦争指導者」が一緒に合祀されている。靖国に参拝する人は、「糾弾すべき戦争指導者」にどう向き合っているのだろうか。まさか一緒くたに「お礼」を述べているのだろうか?