南京事件を「想像」する…松本清張「黒地の絵」を補助線に、南京事件発生75周年の日に

今日は、南京事件発生から75周年の日。
あえて、1950年の日本で起きた米兵暴行事件のことを書きます。


1950年7月11日、福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)の城野(じょうの)にあるアメリカ軍キャンプから約200〜300人の兵士が集団脱走し、キャンプ近隣の民家等に入り略奪や性的暴行などを行った。当時、朝鮮戦争においてアメリカ軍は劣勢で、多くの死傷者が出ていた。脱走した兵士は戦地に送られるためにジョウノ・キャンプに送り込まれ、全て黒人兵であった。
この事件は当時の日本のマスコミでは報道されなかった。


当時32歳で小倉に住んでいた松本清張は、作家として東京に居を構えたのち、事件8年後に短編小説「黒地の絵」を発表する。この作品は、現在新潮文庫に同題名で収録されている(この記事末尾を参照)

※【ご注意】以下、囲みで小説のあらすじや原文を書きます。ネタばれ注意。また、原文中には人種差別表現もあります。

あらすじ(青狐による)

脱走した兵士たちのうち6名が、炭坑の事務員として働く前野留吉と芳子の家屋に侵入する。留吉は縄で縛られ、芳子は性的暴行を受ける。芳子は命を取り留めるが「明日にでも死ぬ」と泣き叫ぶ。
留吉は自分の非力さを自責する。
51年、留吉は、ジョウノキャンプの中にある戦死体安置所に勤務している。彼は、自分たちを暴行した兵士の刺青を記憶している。
小説の最後で、ある黒人兵の死体に向けて医療用メスで襲いかかる留吉の姿が描かれる。

留吉は同じ解剖室で働く歯科医から、死体に黒人兵が多い理由を教えられる。
歯科医の香坂はこう述べる。

「どうだい、君も気づいただろう? 戦死体は黒人兵が白人兵よりずっと多いだろう」
(中略)
「おれの推定では、死体は黒人兵が全体の三分の二、白人兵が三分の一だ。黒人が圧倒的に多い、ということはだな、黒人兵がいつも戦争では最前線に立たされているということなんだ」

それを知った留吉は香坂にこう述べる。

「黒人兵はそうされることを知っていたのでしょうか?」
(中略)
「殺されることをです」
(中略)
「殺されるとは思っていたでしょう。負け戦の最中に朝鮮に渡ったのですからね」

最後に留吉は独り言のように言う。

「黒んぼもかわいそうだな。かわいそうだが  」

しかしその事実を知ってなおかつ、留吉は復讐を行っている。


芳子や留吉に暴行を振るった兵士たちの境遇と、上海戦〜南京戦の日本兵のそれとは異なる部分も多いが、共通する部分も多い。少なくとも「自分たちは虐待されている」と感じている点は共通している。
虐待された者が、より弱い者を虐待することでつかの間の喜びを得る。このブログで繰り返し指摘してきた「虐待の連鎖」(丸山真男の言う「抑圧の移譲」)の構図がある。

そして、その連鎖の終点に位置する被害者が存在することも共通する。
前野芳子や留吉のような虐待を受けた1950年の小倉市民、そして1937年の南京市民。


南京事件に当事者として立ちあっていない人間にとって重要なのは、南京事件をどのように「想像」するかだろう。体験していない出来事を自らにたぐり寄せるには、さまざまな補助線も必要になるだろう。
「黒地の絵」は、その補助線の一つになる作品だと思う。

朝鮮戦争を記憶する」ことを含めて、この作品が多くの方に読まれてほしい。
歴史修正主義の嵐が吹き荒れる前夜とも言える、この政治状況のなかで。


※ただし、松本自身の人種差別・偏見・先入観に基づく記述も多く、この作品はそういう問題をも含めて多角的に読まていく必要も感じる。

黒地の絵 傑作短編集2 (新潮文庫)

黒地の絵 傑作短編集2 (新潮文庫)