南京事件

南京事件「どっちもどっちなので保留」派は日本側史料を読むといいよ。

日本軍の史料だけでも「南京事件」の存在は確認できます。 焼却された史料も多く、また、そもそも加害者側の史料だけで事件の全貌や規模を推量するのは無理があるわけですが、どういう性質の事件が起こったかは確認できます。南京事件に関して「どっちもどっ…

南京事件70周年であり、南京侵略70年でもあり

「クッキーと紅茶と」を開設して3回目の12月13日を迎えた。 一般的には、南京事件の開始は1937年12月13日とされている。ということで、今日は70周年の日にあたる。 と、あらたまってはみたものの。南京事件については、私にはまだまだわからないこと、知らな…

谷寿夫、講義で「略奪、強盗、強姦はかえって士気を旺盛にする」と述べる

太平洋戦争中に海軍教育局長を務めた高木惣吉が、谷寿夫(南京事件当時の第六師団長)について述べた発言が、実松謙『海軍大学教育 戦略・戦術道場の功罪』(光人社)に収録されている。高木は以下のように述べている。 谷大佐の陸戦術は、興味と教訓の多い…

南京事件の「日本軍の毒ガス攻撃案」を再掲

丁集団参謀長発次官あて」、つまり第十軍参謀部が作成した作戦案は第一案と第二案に分かれている。(以下、藤原彰「南京の日本軍」より転載)第一案は、追撃の態勢のまま一挙に南京を急遽急襲奪取するというもの、第二案は急襲が成功しなかった場合のもので…

南京事件否定派が増殖するメカニズム、そして「水俣」との共通性

トラバいただいたhttp://d.hatena.ne.jp/good2nd/20061030へのコメントのつもりで。南京事件の場合、被害国(この言い方、あまり好きではありませんが)に現時点で民主主義がない、言論の自由がないという特殊性がありますから、被害国の主張=全てウソくさ…

なぜ、南京において大規模な虐殺暴行事件が起きたか(メモ)

少しリフレッシュ休暇していました(ブログ界から)。 昨日某ディスクユニオンで浅井健一の新譜を試聴して少し元気回復、しかし試聴で大満足して買わず(笑)に店を出てしまった(笑)。で、買ったのが600円で買った中古のキリング・ジョークKilling Joke(…

「南京事件=ただのプロパガンダ」説のアキレス腱は「日本軍史料」

某所でのコメントを転載します。 「南京事件ー国民党の極秘文書から読み解く」(草思社)のダイジェスト版とも言える「正論」7月号の東中野修道氏の記事については拙ブログ http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060604で批判を加えました。 いわゆる「中国の…

米、野菜、肉類は全く糧は敵に依るを得たり(第十軍の陸軍次官宛報告)

1938年11月18日付「丁集団総合報告」(陸支密大日記」1938年第二冊)より。 (吉田裕「天皇の軍隊と南京事件」86頁より孫引き) 丁集団とは第十軍のこと。カタカナを平仮名に書き換えた。 丁集団作戦地域は地方物資特に米、野菜、肉類は全く糧は敵に依るを得…

小川法務官が見た日本軍の民間人(または捕虜)虐待

「山川草木全て敵なり」と柳川司令官が演説をぶったとされる第十軍、その第十軍の法務部長だった小川関治郎氏の、1937年12月11日の日記の記述。

日本軍の給養体制の問題と「家を壊して薪にし、飯盒炊飯した」兵士たち

雨は降るし、飯盒炊事するにも薪はない。手当り次第に家を壊して焚く(1937年11月17日) 上は吉田裕「日本の軍隊」(岩波新書)174頁所収、歩兵第33聯隊(第十六師団、歩兵第30旅団傘下)の召集兵だった高島市良氏の日記の記述。

第十軍司令官の「山川草木全部敵なり」発言と、その背後にある恐怖感

第十軍司令官・柳川平助中将*1の発言について考察する前に、既に紹介した第十軍参謀部作成の作戦案(「昭和十二年十一月三十日付けの南京攻略に関する意見送付の件、丁集団参謀長発次官あて」)を再び再掲。 南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得エザル場合ノ攻略案 此…

山田少将の日記に記された内容

日本軍の不軍紀行為については、以下のサイトに多数の事例が書かれている。 http://www10.ocn.ne.jp/~war/rape.htmちなみに、幕府山事件で有名な「山田支隊」の山田少将の日記の記述も引用されています。 予後備兵の不軍紀行為について。 1.敬礼せず 2.…

「略奪、強姦は軍の常だよ」と述べた中島今朝吾・第十六師団長

では、南京での不軍紀行為の頻発は突然変異的な現象だったのか。 注目すべきは、阿南大将の報告を受けての田中軍事課長の所見である。田中はこう記している。 陸軍内部における多年の積弊が支那事変を通じて如実に露呈せられたものとみるべく、その百弊ウン…

日本軍は軍紀厳格だった、らしい(これでもねぇ)

日中戦争において「日本軍は軍紀厳格」「日本軍は規律厳正」「日本軍は国際法を基本的に遵守」などと述べる人って、実在するのですね。すごいなあ。ちなみに秦郁彦「南京事件」(中公新書)、ウェブサイト「南京事件 小さな資料集」、及び「クッキーと紅茶と…

阿南惟幾・陸軍省人事局長の報告/田中新一・陸軍省軍事課長の所見

同じく「現代歴史学と南京事件」13頁より、田中新一・陸軍省軍事課長の記録「支那事変記録 其の四」(防衛研究所戦史部所蔵)の、1938年1月12日の陸軍省局長会議における阿南惟幾・陸軍省人事局長の報告を紹介します。 阿南大将は、(秦幾彦「南京事件」を読…

捕虜殺害/死体の揚子江投棄を目撃した早尾乕雄陸軍中尉

「現代歴史学と南京事件」13頁所収、最近になって防衛研究所戦史部図書館で公開された、早尾乕雄陸軍中尉(金沢医科大学教授)が1938年5月に書いたレポート『戦場心理ノ研究−総論−』の一節を転載します。 余ガ南京へ入ツタノハ陥落後一週間デアツタカラ市街…

南京事件の「日本軍の毒ガス攻撃案」の存在を日本政府が国会で言及していた

南京事件をめぐる国会質疑でもう1件。 2005年(平成17年)6月2日「参議院 外交防衛委員会(平成17年6月2日)での質疑記録」において、政府側答弁は「昭和十二年十一月三十日付けの南京攻略に関する意見送付の件、丁集団参謀長発次官あて」に言及していた。参…

「南京攻略時に約四、五万に上る大殺戮」(岡村第十一軍司令官が宮崎参謀・原田少将・萩原中佐より聴取した内容)

第十一軍総司令官として武漢戦を率いた岡村寧次大将が南京事件について受けた報告については、これまでも何度も紹介してきたが、その後発見された史料にははっきりと「約4〜5万の大殺戮」と明記されていた。 「現代歴史学と南京事件」(笠原/吉田編著、柏書…

加虐・虐待の連鎖としての南京事件

先日いろいろな人と意見交換した。以下は、いただいた意見などをもとに考えたこと。昨年12月2日エントリ「南京事件は、日本軍の「自国兵士への虐待」から始まった」 http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20051202「始まった」としか述べていなかったが、これは…

凍死する南京市民、「哀れな支那人ですね」と記す日本軍兵士(68周年の日に思う)

68年前の今日、つまり1937年の12月13日、南京は日本軍に占領され、いわゆる「南京事件」もこの日から始まったとされている(なお私は12月12日、あるいはそれ以前から同事件は始まっていると考えている)。68周年の日ということだが、特別なエントリは準備し…

南京事件は、日本軍の「自国兵士への虐待」から始まった

さて、南京侵攻の途上のことについて。 第十軍の憲兵、上砂少将の発言については何度も引用してきたが、これはある価値基準からすれば「日本軍による日本軍兵士による虐待」だと言って過言ではないように思う。とりあえず某所での拙投稿を引用して、問題提起…

南京事件時の日本軍の規律について、日本軍高官の認識

total_ecipsさんは拙ブログ10月25日コメント欄で、 # total_ecips 『しかし、1番大きな違いは我々の方がより客観的な視点から歴史認識をしていると自負している点です。 と自負を述べておられるが、いっぽう10月11日のコメント欄ではこういう発言をしている…

南京事件を子ども達にどう伝えるか、という難問

とあるブログで靖国問題〜南京事件関連を含む議論があり、私が入れたコメントに対しブログ主さんからレスをいただいた。 >青狐さんはじめまして。コメント有難うございます。本当の情報って何なんでしょうね。 子供達になんて説明すればいいんだろうって思…

たとえ話 ○京虐殺事件と雑誌SP●!

3月3日のエントリー「勝谷誠彦氏はなぜこんな愚かな文章を書いたのか?」に多くのアクセスをいただきました。ただ論文みたいな文章で、少し読みつらく感じた方もおられるかもしれません。今回は、勝谷氏コラムの問題を、架空の「東京虐殺事件」のたとえ話…

勝谷誠彦氏はなぜこんな愚かな文章を書いたのか?

結局2月は仕事とインフレエンザで終わってしまいました。 さて、たまたま目にした勝谷誠彦氏の文章に関して、多少の考察。 勝谷誠彦氏が「SPA」05年3月8日号の巻頭頁にて、「大地震と南京事件」と題したコラムを発表している。リードには「津波の犠…