彼らは「日本のため」に死んだのではなく、「日本のためだと騙されて」死んだのでは?


「自称女ロケンローラー・ユリアの日記 久々に熱く語る。国立追悼施設って・・・何?」での議論の続き。論点ごとに整理してみた。

最初の論点。

(要旨)日本の犠牲についてはどう思うのか

(青狐)
結論を言えば、戦争で命を落とす必要はなかった。そして、戦争は必要のない戦争だった。戦争がなければ、死んだ人たちも平和に生き、死ぬことができた。

根拠を言います。太平洋戦争は、日中戦争の長期化が原因でアメリカ等から経済封鎖され、その状況を打開するため開始されました。つまり日中戦争がなければアメリカとの戦争もなかったのです。
で、日中戦争は必要な戦争だったのでしょうか。私は必要ない戦争だったと思います。単に蒋介石政権を打倒して、傀儡政権を樹立させようと始めた戦争です。今でいうところの「政治テロ」を日本は仕掛けたわけですね。(ちなみに通州事件中華民国と戦争する理由にはなりません。後述します)

なんのことはない、死んだ日本人兵士は、必要のない戦争を始めた「戦争指導者」たちの犠牲になったのです。

因果律を語るなら、愚かな指導者たちが無用な戦争をだらだらと続行したせいで、戦死者は、戦争指導者の代わりに戦って死んだ、ということだと思います。

(要旨)確かにそうだが、そんな言葉で片付けられたら戦死者があまりにも気の毒である

(青狐)
気の毒ですが、痛ましい事実です。
ある意味、彼らは殺されたのです。愚かな戦争指導者のせいで。
ベトナム戦争に放り込まれたアメリカ兵のように。
アルジェリア独立戦争に放り込まれたフランス兵のように。
彼らの死はアメリカの為ではない。フランスの為でもない。彼らは、戦争指導者の愚かな「野望」や「傲慢な心」の為に戦場に送られ死んだのです。

この応答の中で言いそびれたのだが、彼らは「日本のため」に死んだのではなく、「日本のためだと騙されて」死んだのではないのか。それを直視することは、そんなに難しいことなのだろうか。