1937年12月1日=南京侵攻開始の日だが、実は…

1937年12月1日、南京侵攻が「正式に」日本軍の命令として中支那方面軍(上海派遣軍+第十軍)に下命される。ただし第十軍は11月15日には独断で杭州から南京への侵攻を決定していた(これは軍中枢から指示された制定線、つまりこれ以上内陸に侵攻するなというラインを逸脱した命令違反である)。20日には東京の陸軍参謀本部から「侵攻を中止させ、制定線まで撤退せよ」という命令が出されたが、第十軍は無視する。さらに、第十軍に従軍していた中支那方面軍参謀副長武藤章大佐は26日に上海派遣軍の第十六師団(=通称中島師団、京都師団)を徴発する書簡を送っている。

南京侵攻は軍中枢の判断で始まったのではなく、現地軍が勝手に始め、制止を無視するかたちではじまった。後に中枢が追認したのは確かだが、確かな戦略を立てたうえで行われたものではないことは確かである。

※今日はSherbetsのライブなぞに行ってしまったせいで若干手抜きになってしまいました。体力が回復したら加筆するかもしれません。