小川法務官が見た日本軍の民間人(または捕虜)虐待

「山川草木全て敵なり」と柳川司令官が演説をぶったとされる第十軍、その第十軍の法務部長だった小川関治郎氏の、1937年12月11日の日記の記述。

甚だしき部隊にありては疲労の為か、支那人を連れ、それに背嚢は勿論、銃、鉄帽までも背負はせ、又その数多数に上り甚だしきは兵の数程も連れたるを見る。或る人曰く百鬼夜行の有様なりと。恰も日本兵の行軍やら支那土民の行列やら区別付かざる感なきにあらず。(中略)
その場合、我が兵の命がままに従わず少しでも拒めば立ち所に遣られ、万一逃げてその辺かをうろつけば直に遣られ、支那人としては進退これ極まり、結局言はるるままに動かざるを得ざるに至る。

『ある軍法務官の日記』みすず書房、2000年)

ここにある「支那人」は民間人なのか捕虜なのか判然としないが、「土民」という表現から察するに民間人を含む可能性は高いと思われる。


第十軍の憲兵・上砂少将の証言と相互に参照すると、杭州湾上陸〜南京までの第十軍の軍紀逸脱の有様を伺いしることができる。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050430