日本軍史料に見る第十軍・上海派遣軍の略奪行為

日中戦争のまったく救いようがない点は、日本軍が「自前の食糧」すら携えず、現地、つまり中国の農村から掠奪しながら奥へ奥へと侵略していることだ。
どんな政治的大義名分も、この事実の前では色あせてしまう。

以下、ネット上にあまりリリースされていない史料を紹介する。

第十軍が陸軍次官宛に送付した一九三八年一一月一八日付「丁集団総合報告」には、

丁集団作戦地域は地方物資特に米、野菜、肉類は全く糧を敵に依るを得たり

と書かれている。


上海派遣軍の第九師団参謀部「第九師団作戦経過の概要」には、

軍補給点の推進は師団の追撃前進に追随するを得ずして、上海付近より南京に至る約百里の間、殆ど糧秣の補給を受くることなく殆ど現地物資のみに依り追撃を敢行」

と書かれている。


第十一師団の経理部員だった矢部俊雄氏は上海上陸から無錫までの間をこう記す。

一銭も円を使っていないんです。全部、徴発ですね。…おそらく第三師団も同じような状況で、二ヶ月半というものは一銭も使っていないです(『兵科物語陸軍経理部よもやま話(その7)』)


第十六師団の歩兵第三〇旅団長の佐々木至一少将は三七年一一月二七日、無錫にて以下のように書き記している。

「城内外を視察す。種々雑多な兵隊でゴッタ返し徴発物資を洋車につんで陸続と行くあたりまるで百鬼夜行である。敬礼も不確実、服装もひどいのがある


そして拉致・強制労働。
第九師団の経理部将校であった渡辺卯七氏は、回想録に以下のように書き残している。

昆山附近に進出してからは土民の影もちらほら見ゆる。…兵は青壮年らしき者を見るや否や今まで気息奄々して落伍しそうな者までが急に元気になってまるで運動会の旗取り競争そのままに数人の者が申し合わせた様に一斉に部隊から飛び出した。何事があったかと見れば逃げ迷ふ者を包囲して捕らえんと競争しているのである。斯くして捕らえられた土民は捕らえた者の所有物とされて背嚢を背負わされ雑嚢や水筒をかけられて一人前の兵のような姿で部隊とともに行軍するの光栄に浴する。兵は彼の後ろから銃をかついで意気揚々として監視しながらついて行く。…夜になれば彼らは概ね逃ぐるか天国へ逃ぐるのである

おまけとして、
上海の早尾軍医中尉は上海戦、南京戦での兵士の犯罪が頻発したため軍の命で調査を行っていますが、その報告書で以下のように述べている
「上海は実に日本軍人の犯罪都市と化したる観あり。南京亦是に次かんとする有様なり。実に日本軍人の堕落と言はさるへからす。」
http://www.geocities.jp/yu77799/gunnikan.html

第101師団の放火、強姦、クーニャン狩り等を目撃した従軍記者の記録
http://www.geocities.jp/yu77799/omatayukio.htm
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杭州湾から南京に向かう途中で掠奪が横行したことを上砂少将が述べており、
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050430

飯を炊く薪がないので、中国人の家屋を壊して薪に
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060724/p2

陸軍中枢の田中軍事課長は「陸軍内部における多年の積弊が支那事変を通じて如実に露呈せられたものとみるべく、その百弊ウンジョウの深刻さには改めて驚かされる次第なり」と書いている。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060718/p2



これらの犯罪行為は、当然ながら、中国「軍」だけではなく中国の「民」に対する敵対行為である。
これに対し、中国の「民」が抵抗するのは、ある意味当然の正当防衛、ということになる。