「嫌韓流」の一読者と南京侵攻に関して議論


いま、「嫌韓流」の愛読者である大学生の方と、南京事件・南京侵攻について議論しているのだが、
(9月10日補足;帰省先で「友人に嫌韓流を広める」そうだ)

http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/be986778116b040290372ecb6c1f06db
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/29576be32b97c58b055df9999e218f1f
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/834fb3bf9657a53b48b580096b03fab4
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/dd23e97f732e89fc486b959c529b127c

だんだん相手の地金基本的な考えが見えてきた。
こういう人が「嫌韓流」を好意的に読むのは、当然かなと思えてきた。

(sk2357)
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/29576be32b97c58b055df9999e218f1f
>自分なりに言うならば、「必要悪」なのではなかったのかと考えるのです。
>まず一義的には、天皇及び、臣民とりわけ自分の身内を守る為に自らの血を流し、命を懸けて戦ったということ。
>第二義的には、アジアの開放。それは間接的にとはいえ、東南アジアから‥

(bluefox014)
私が論点として提示したのは、南京侵攻の正当性です。「大東亜戦争」全体の話などしていません。
日本軍が南京に侵攻し占領しようとすることに正当性があるか、という論点です。

南京侵攻は中華民国との戦闘です。別に中国共産党と戦ったわけではありませんし、華中はソ連の勢力圏から遠く離れていますから、対中共・対ソ的意義は全くありません。それから、この時期にはABCDラインもありませんから南京侵攻に「資源確保」的意味など全く見いだせません。

ブログ主さん。
南京侵攻・占領のどこが「天皇及び、臣民とりわけ自分の身内を守る為に自らの血を流し、命を懸け」た戦闘なのでしょうか。南京侵攻のどこが「天皇や自分の身内を守るため」なのですか。ご説明していただけますか。

(sk2357)
http://blog.goo.ne.jp/sk2357/e/dd23e97f732e89fc486b959c529b127c

これからは憶測です。
当時中国に攻入るということを考えると王将を取りにいくのは妥当じゃないでしょうか。致命的な部分を早急に攻められるっていうのは外交の上でも譲歩のカードを引き出すには有効じゃないんですかね。結局は徹底抗戦でしたが。
南京って当時の中国の首都ですよね。(後に重慶に遷都しますが)おまけに国民党の蒋介石もいたはずです。
だったら中国と交戦(宣言は両者ともしてないはずだけど)で南京を狙うのは当然じゃないんですか?将棋やチェスだって王様を取らないと勝てないんですから。チェックメイトはプレッシャーかかりますよね。
それとも他の地域を制圧してから攻略するべきだったとでも?それは徒に諸外国と中国の反感を買うからよろしくないですね。
つまり戦争として南京攻略及び占領は正当なものだったと断ずる事はできないですけど妥当なものだったとは考える事が出来る気がします。もしかしたら他に根拠があったのかもしれないですけど。

(bluefox014)
…skさん。
私は「南京侵攻のどこが「天皇や自分の身内を守るため」なのですか」と質問したのです。
skさんは「中国に攻め入るうえで南京を攻め落とすのは適切である」という旨しか述べていませんね。つまり「中国に攻め入るうえで」とことを前提にして妥当性を論じているにすぎない。
私は南京侵攻に自衛性があるのですか?と問うているのです。

結局skさんの言いたいことは以下のようなことですか?
満州権益を維持するために中華民国に攻め入る必要があった
中華民国に攻め入る戦争は「天皇や自分の身内を守るため」の戦いである。
中華民国に攻め入るうえで、王将(=南京)を取りにいくのは妥当である。
・したがって、南京への侵攻は「天皇や自分の身内を守るため」の戦いである。

もしこの通りなら、これが私への質問への返答だと受け取ります。もし異なるようなら、最初の>>の質問にお答え下さると幸いです。

(9月10日補筆)
日本の戦争は自衛戦争だと述べていた人が、南京侵攻については「攻め入るうえで有効だから」という根拠を述べ出す。まったく整合性がない。

唯一この二つの論理に整合性を付けるとしたら、満州権益保持のために中華民国と全面戦争したというぶっ飛んだ論理をくっ付けるしかないのだが…

その場合は、日中戦争はswan_slabさんが(拙ブログ05年1月1日エントリの)コメント欄で述べていた「自己保存のために戦いまくるというホッブス的な自衛」概念に基づく戦争ということになるだろう。それは確かに日中戦争正当化の論理ではあるが、swan_slabさんはこう述べている。
「それは逆にいうとルールなき世界を認めることになり、国家間でも個人間でも認めることは出来ないでしょうね」

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050101


追記
http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20050918にTB。