南京侵攻を正当化したがる潜水艦さん/野良猫さん

南京事件69周年の前日に、南京侵攻について。
その後の潜水艦さんは、なんだか煽り言葉でしか発語できない状態になっているようだが、どうやら日本軍の南京侵攻を正当化したいように思われる。

http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/a3249b2d9465ffd249b85b054fafb925

(潜水艦)
2006-12-09 01:49:43
で、「北清事変」の言い分と上海を攻撃した国民党軍の法的根拠ってマダー?!

あとさ、「日本軍が南京に攻撃を仕掛けた正当性」って言うんなら「仕掛けちゃダメ!!」っていう国際法とかの条文ってあるのかね? 戦争状態ってのはさ、やっちゃだめって言われてること以外は大体やっていいって時の話だもんな。南京話の大好きな連中が言いたがる細かい話は勘弁な。

上の投稿を読む限り、
・「中国国民党上海租界を攻撃した法的根拠」が問われるいっぽう、

・「日本軍が南京に攻撃を仕掛けた法的根拠」は問われず、
・「日本軍が南京に攻撃を仕掛けてはいけない法的根拠」が問われるらしい。

バカバカしいほどのダブスタ
ちなみに言うまでもないが、「日本軍が南京に攻撃を仕掛けてはいけない法的根拠」は日本も批准している不戦条約である。
潜水艦さんは、なんで不戦条約を無視するのだろう。

また、「戦争状態ってのはさ、やっちゃだめって言われてること以外は大体やっていいって時の話だもんな」というのもハーグ陸戦条約・規則を無視した暴論。

ちなみに、もし「戦争状態ってのはさ、やっちゃだめって言われてること以外は大体やっていいって時の話だもんな。南京話の大好きな連中が言いたがる細かい話は勘弁な」といったルーズな価値観で南京侵攻を正当化してしまえるのなら、「国民党の上海での攻撃」についても「だって日本軍が北京も天津も軍事占領したんだから、占領される前に中国軍が手を出した」という感じで正当化するのが筋だろう。

中国軍の上海租界攻撃を不当だと主張するなら、日本軍の南京攻撃も不当だと判断するのが筋である。



しかし、この議論には何か既視感があると思ったら、やはり野良猫氏が同じような議論をしていたわけだった。以下を参照。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050414

# 野良猫
 一度はじまった戦争は、停戦条約が締結されるまで続くものです。

# bluefox014
日本は既に不戦条約の批准国であり、南京への武力侵攻自体が不戦条約違反で、南京で一発の銃弾も打つ正当性はないはずですが‥
国民党の側の問題に転嫁する以前の問題でしょう。』

# 野良猫
 確か、当時の不戦条約は自衛的な戦闘まで否定してはいなかったはず。それを言うなら、先に上海の租界地を大軍で包囲してきた国民党側の責任を追及する事になる。

# bluefox014
上海で租界が攻撃されても、日本軍が正当性を持ちうるのは上海での戦闘だけでしょう。そこから遠く離れた南京に侵攻する正当性があるとは思えません。南京には日本の租界も権益もありません。遠く離れた南京に侵攻するのは、不戦条約違反でしょう。

注 ちなみに上海から南京までは300キロくらい離れている。

# 野良猫
 たとえば、現在でも拉致被害者を奪還できない日本。こうした確信的に不誠実に振る舞う相手に、契約や約束事の類を守らせるには、「強制力」が必要になってくる。これは個人・国家のレベルともにそう違いはない。数々の邦人殺害や一方的な条約破棄を繰り返してきた南京政府に対し、「首都である南京を攻略して積年の問題に決着をつけるべき」と当時の人達が考えても無理はありません。

# カッツン
「‥決着」のための侵攻は、政治的目的の侵攻で、まさに不戦条約違反。
だいたい、国民党政府が南京から漢口に移った時点で、南京侵攻には「政治的目的」という名目すら付与されない。

論点はとりあえず2つ。
1つめは、上海戦を根拠に日本軍の南京侵攻を正当化するというロジックには無理がある。
2つめは、(2005年4月時点では指摘できていないが)上海戦が自衛的戦闘だと主張したところで、南京侵攻における日本軍の略奪や放火、殺人などは正当化できないということだ。
参照 日本軍史料に見る第十軍・上海派遣軍の略奪行為
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061201/p1
   日本軍史料にみる第十軍・上海派遣軍の放火行為
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061202/p1


こういう論点から鑑みれば、潜水艦さんの

(潜水艦)
なんだかなあ、素人の俺がつなぎ合わせた程度の話でも、あんたらちゃんと反論してくれてないじゃないの。そりゃ、単純な中国様バンザイ教が頭にあるからなのよ。

という主張の空虚さがより鮮明になる。