東京大空襲と南京事件、両者に通底する論理

ここ最近、東京大空襲についての報道をチェックしていたのだが、その中でもっとも印象に残ったのはTBSの夕方のニュースでの特集コンテンツでの、(東京大空襲焼夷弾を落とした)元・B29乗員たちの「同窓会」の光景だった。

番組では、彼ら東京大空襲作戦に関わったB29乗員たちの多くは、1942年以降の志願兵、具体的にはパールハーバーでの日本の奇襲攻撃に憤り、軍に志願した者たちだと紹介されていた。

インタビューにおける、彼ら元パイロットの心情は、次の2つに集約されていたように思う。

(1)犠牲者をいたましく思う。
(2)しかし東京大空襲によって、戦争終結に追い込むことができたことを誇りに思う。

そして、同じくTBSの別番組(3月10日特番)の最後に、同じ「同窓会」での取材シーンが映し出されていた。取材側が空襲で黒こげになった母子の写真を元パイロットに見せる。元パイロットの一人は、呻くような言葉で以下のように答えていた。

(3)戦争を終わらせるために、しかたがなかったんだ
(4)命令に従ったまでだ


彼らは「虐殺した当事者」である。そして彼らは主に二つの理由で自らの行為の正当化を試みる。それは「復仇」と「戦争終結のため」である。

この論理は、南京事件と実に通底していると思う。
南京侵攻戦は明確に「殲滅戦」と位置づけられていた。「復仇」と「戦争終結のため」は、この殲滅戦を正当化するものとなった。

「復仇」=上海戦の復仇、あるいは通州事件の復仇(ただし通州事件の加害者は日本の傀儡政府の保安隊であり、これへの復仇として中華民国軍を殺傷するのはお門違いである)。
「戦争終結のため」=現地日本軍の暴走(中央の命令を無視して勝手に南京に侵攻する)を正当化する論拠

そして現地日本軍は、この殲滅戦において民間人が犠牲になることに躊躇しなかった。
当ブログで何回も紹介しているが、第十軍参謀部作成の戦術案では、「焼夷弾イペリットガスの1週間連続攻撃」で「南京市街を廃墟たらしむ」という戦術案が明記されている。

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061102

南京ヲ急襲ニヨリ奪取シ得エザル場合ノ攻略案

此ノ場合ニ於イテモ正攻法ノ要領ニヨリ力攻スルコトヲ避ケ左記ノ要領ニ依リ攻略ス

急襲案ト同一要領ニヨリ先ズ南京ニ急追シテ包囲態勢ヲ完了シ主トシテ南京市街ニ対シ徹底的ニ空爆特ニ「イペリット」及焼夷弾ヲ以テスル爆撃ヲ約一週間連続的ニ実行シ南京市街ヲ廃墟タラシム

(中略)

本攻撃ニ於イテハ徹底的ニ毒瓦斯ヲ使用スルコト極メテ肝要ニシテ此際毒瓦斯使用ヲ躊躇シテ再ビ上海戦ノ如キ多大ノ犠牲ヲ払フ如キハ忍ビ得ザルトコロナリ


両者に共通するのは、「戦争を終わらせるため」という大義名分が、民間人巻き添えを辞さない大量殺戮を正当化する根拠として機能していることだ。
そしてこれは、1937年、1945年の出来事に、南京や東京の出来事に限定されることではない。
未来においても、この地球では、「戦争を終わらせるため」という理由で、大量殺戮が行われうる可能性があるということだ。

ここに、私たちが「南京事件」と「東京大空襲」を記憶し、学ばねばならない理由の一つがあると思う。それは日本人とかアメリカ人といった枠を超えて、記憶し学ぶべき事柄のように思う。
私たちは地球人として「再発防止」のために、知り、学ばねばならない。

そして、日本において

・「南京事件」に関する日本軍史料の多くが非公開であり、公開された史料の内容も広範に知れ渡っているとはいえず、それら日本軍史料を無視するかたちで「南京事件否定派」が存在すること

・「東京大空襲」についての公立(都立または国立)の資料館が未だに存在しないこと


この2つの事実は、何を意味するのだろうか。
そこには「反中」「媚米」といったモーメントが働いていることは確かだろう。しかし理由は何であれ、結果として、上のような事柄が「再発防止」を阻害していることは疑いの余地はない。



私たちは南京事件を、東京大空襲を記憶し続けたほうがいい。これらを忘却させようという作為や不作為に、当ブログは異議を唱え続け、抵抗していきたいと思う。