東中野氏「正論」7月号論文のここがダメ(「工作1」に関して)

工作1 日本軍が暴行を働くよう仕向ける


今回の論文でも、もっとも荒唐無稽な部分のひとつです。

東中野氏の主張を一言で要約すると、こうなります。


・中国側は、「日本軍が南京城内の安全区で暴行を働く」ように仕向けた



もう少し具体的に書くと、こうなります。


・中央宣伝部は「南京防衛軍の唐将軍を南京から逃亡させ、中国軍兵士がパニックになり、安全区に逃げ込んで、日本軍が残敵掃討させる」ように仕向けた



東中野氏によれば、中国兵がパニックに陥って安全区に大勢流入したのも「中央宣伝部が仕向けた」結果だと主張するのです
しかしその説の根拠はというと、


・そう考える理由は、南京防衛軍の唐生智将軍が、多くの兵を置いたまま南京直前に逃亡したのに死刑にならなかったからだ。


たったそれだけ(笑)。
「なぜ死刑にならなかった」ことが「中央宣伝部が…仕向けた」根拠になるのか?

東中野氏は以下のように述べます。

唐将軍はなぜ処刑されなかったのか。彼の逃亡が命令違反にならなかったからだ。つまり唐生智逃亡は、「南京陥落後の敵の暴行」を宣伝するために蒋介石が当初から織り込みずみだったことになる。

もはや、完全に「決めつけメソッド」になっています。


「命令違反にならなかった」→だから「宣伝するために…織り込みずみだった」ことになる?
「命令違反にならなかった」→それが「宣伝するために…織り込みずみだった」十分な根拠になるのか?


「命令違反にならなかった」から「死刑にならなかった」という仮説が正しいとしても「命令違反に該当しなかった」理由はいくらでも考えられるわけです。また、唐が死刑にならなかった理由はいくらでも考えられます。
まず「壊滅的敗北」が「処刑」する理由にならなかった(命令違反であろうとなかろうと)という可能性がまず考えられます。だいいち、壊滅的敗北を喫したから最高司令官が死刑になる、という原則が当時の国民党にあったのでしょうか。まずそこを立証しないと。ちなみに日本軍の場合、インパールの牟田口中将も軍事裁判で有罪になどなっていません。
それに「部下より先に逃亡した」ことが「処刑」する理由にならなかったのも奇異ではありません。司令部が先に撤退すること自体はどこの軍隊でも当然のことでしょう。


そもそも、蒋介石は12月11日の正午の時点で「全軍撤退」という命令を唐将軍に伝えていました。(笠原「南京事件」128頁)。
実際には日本軍の包囲が厳しく、司令長官部の直属部隊が午後8時に揚子江を渡江できたものの、その他の部隊は日本軍の包囲を突破できないまま壊滅的打撃を受けました(ちなみに、南京を脱出して召還できた兵士の数は、笠原氏の研究では2万)。



※要するに、唐は蒋介石の撤退命令に基づいて南京を離れただけのことです。それを奇異な現象とみなすこと自体がおかしいのです。
※その点にはじまり、唐が死刑になっていないことを根拠に「…仕向けた」という説をたてることは「こじつけ」を何段階も重ねた牽強付会の極みのような主張であり、いまのところ東中野氏の脳内妄想の域を超えるものではありません。




補足
なお、途中で出てくる以下の推論も「決めつけメソッド」の典型です。((ア)(イ)(ウ)の記号は青狐による)


・当時の東京朝日新聞に「唐将軍死刑」の記事が掲載されていたが、実際には唐は死刑になっていなかった(ア)
・東京朝日の記事の情報源の出所は国民党の中央宣伝部しか考えられない。(イ)
蒋介石の中央宣伝部は、唐生智処刑というウソを当時流していたことになる(ウ)


「決めつけメソッド」です。
実際の東京朝日記事のソースはわかりません。中央宣伝部経由だったかはわからない。軍事委員会発かどうかもわからない。
したがって「(ア)だから(イ)」以外の可能性、「(イ)だから(ウ)」以外の可能性はいろいろ考えられるのですが、それ以外の可能性は根拠もなく除外しているわけです。決めつけメソッド。


※「中央宣伝部が唐将軍処刑というウソをついていた」と断定できるだけの根拠はまったく提示されていません。「決めつけメソッド」によるもので、いまのところ東中野氏の脳内妄想の域を超えるものではありません。