これはむしろ「組織的掠奪」を示す証言だ

tdamさんが「正しい徴発」に関する証言だと述べたもののうち、時期はずれではないものについて。
まず、上海派遣軍の参謀部に属していた榊原主計の証言。

その前に、「ハーグ」の47条と52条の内容を確認する。

第47条:略奪はこれを厳禁とする。

第52条:現品を供給させる場合には、住民に対して即金を支払わなければならない、それが出来ない場合には領収書(青狐注;受取証が適切な訳)を発行して速やかに支払いを履行すること

では、榊原証言。

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chouhatu.html
"榊原主計証言(上海派遣軍参謀部員)
 
六、上海派遣軍も作戦要務令の規定する方式に従ひ、占領地所在の軍需品を徴発したこともあります。部隊の行ふ徴発は主として大隊の主計官が実施に当り、其所持する金櫃から支払を実行するもので、それ以下の部隊又は各個人の勝手に為すことは出来ませぬ。徴発したときに対価を払ふことは当然であります。
七、徴発について困ったことは、上海から南京に至る迄、占領地の多くは、其の部落には一般住民も行政上の責任者も残留して居なかったことであります。即ち交渉の相手となすべき者が存在しなかったので、結局、不在所有者の現実の承諾のない状態の儘、之を軍需に用ひなければならなかったことが屡々とありました。
 然しその様な場合には、如何なる物を如何程徴発したかを明記し、所有者に判明する様、貼紙をして、司令部ヘ代金を取りに来る様に記して置くのを例としました。
 私が現実にその様な措置を講じであった事実を目撃したのは、無錫に於ける米の倉庫に於てでありました。

八、占領地に所有者若くは行政上の責任者が居ったときは、全て之等に交渉し、その承諾を得て代金支払の上、円満に授受した。
 私が現実にその様に行動した例は幾つもあるが、特に印象に残って居るのは、白卯江上陸作戦の際であります。上陸点附近の小村落に行政上の責任者たる村長が残留して居て交渉の当事者となったので、その者と接(折)衝して糧秣の補給を受けました。
 是れに対して正当に代金の支払を為し、又残留住民を保護する様に取計ったので、右の村長は日本軍の秩序ある行動に感謝し、我々を歓待してくれた事実があります。
 常熟でも其の様な例がありました。

九、其他各地で制札を立て、住民の保護、掠奪の禁止等を指令しました。これは総て松井大将の意図を奉じて行ったものであります。
 南京では行政上の責任者が全く残留せず、交渉の相手方がなかったから、上述した様な便宜の方法で徴発が行はれたものと思はれる。難民区から徴発をしたとの話は聞いていません。
(『『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P257〜P258)"

この証言は、むしろ組織的掠奪の存在を示していると思う。
重要なのは以下の部分だ。

占領地の多くは、其の部落には一般住民も行政上の責任者も残留して居なかったことであります。即ち交渉の相手となすべき者が存在しなかったので、結局、不在所有者の現実の承諾のない状態の儘、之を軍需に用ひなければならなかったことが屡々とありました。

つまり、「多く」は無断徴発、つまり民間人の食糧を無断で奪ったと、榊原は証言しているのだ。
それは、所有者の財産権を無断で侵害したことになる。この時点で「ハーグ」第47条で厳禁されている「掠奪」ではないか?
上海派遣軍司令部は、本来、無断で民間人の食糧を奪うことを禁じるべきだった。しかし、それは司令部にはできなかった。なぜなら、司令部は自軍の兵に与える食糧を用意していなかった(補給が間に合わないため)からだ。だから司令部は無断徴発を放任した。無断徴発(掠奪)の責任を実行犯に押し付けることはできない。無断徴発(掠奪)の責任は、まず司令部にある。

百歩譲って「無断徴発=掠奪ではない」とされる場合であっても、榊原が述べる徴発方法は「ハーグ」第52条違反と判断するに十分である。
榊原の証言から引用する。

 然しその様な場合には、如何なる物を如何程徴発したかを明記し、所有者に判明する様、貼紙をして、司令部ヘ代金を取りに来る様に記して置くのを例としました。

これを読んで、「代金交換を約束しているのだから違法ではないのでは?と受け取る人もいるかもしれない。しかし南京侵攻戦は典型的な急襲作戦であり、榊原の言う「司令部」も10日で約300kmを移動していたのである。「司令部に来れば軍票は現金に換える、ただし司令部は毎日30kmのペースで遠ざかっているので悪しからず」というわけだ。

庶民が自動車どころか自転車も持たない時代では、これは事実上の「持ち逃げ」、つまり掠奪と判断するに十分である。


おそらくtdamさんは、「司令部」自体が10日で約300km移動しているという「南京事件の初歩知識」を欠いていたのだろう。そのため彼は、榊原証言は「合法的な徴発」を示すものと受け取ったのだろう。*1

*1:歴史学での踏み込んだ議論に首をつっこむなら、最低限の初歩的知識を持たなければ話にならない…tdamさんに欠けていたのはそういう基本的な姿勢だ。(法律論についても同様だ)
俗な言い方をするなら「歴史学をナメるな」「法学をナメるな」ということである。tdamさんはこの言葉をA3の紙に大書して、自分の机の前に貼っておいたほうがいい。