HALTANさんの脳内ではNスペ「ワーキングプア」が「階級闘争史観的」らしい

HALTANさんの「わら人形打ち」問題の続きです。
流れを整理すると

(1)サヨクは「階級闘争史観で何でも説明できると思っている」
(2)しかも(1)が徹底していない

この2つが、HALTANさんが「サヨクを嫌いな理由」のはずでした。

(青狐の疑問)
しかし、そもそも(1)に該当するサヨクなんてほとんどいないでしょ?

いえ、藁人形ではありません。ネグリのような有名人も関係ありません。自分の批判はもっとプリミティブでラディカル(笑)なものです。
日本共産党の、NHKプロデューサーへの態度への批判エントリを引用)


(青狐の疑問)
それって「自分が日本共産党を嫌いな理由」の域を超えませんよね。
サヨクが嫌いな理由」の説明にはなっていません。
ひょっとしてHALTANさんの脳内では「サヨク」と「日本共産党」が同義になっているのでしょうか。

前回はここまで。
HALTANさんから返事が来ました。

http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080807/p2

はあ・・・別に共産党でなくてもいいのですが、最近、労働運動やノンセクト運動界隈で、この春原なる人物のようなアジテーションがよく行われているみたいですけどね。それも御自分はどこかの大学に属するアカデミシャンであったり、会社所属のジャーナリストであったりする人も多いようですね。

つまり、HALTANさんの言う「サヨク」は日本共産党に限らない、と言いたいようです。

しかし、これでは最初の疑問に戻るだけです。
「(日本共産党に限らないところの)サヨク」=「階級闘争史観で何でも説明できると思っている人たち」なのでしょうか。

考えられる可能性を3つほど思いつきました。

(A)後付け。サヨクが嫌いという情動がまず存在し、後から適当に理由付けをしたので支離滅裂。
(B)わら人形打ち。HALTANさんの脳内にしか居ない「階級闘争史観で何でも説明できると思っているサヨク」を嫌っているだけの話。
(C)「階級闘争史観」という語句を思いっきり「マイ定義」して使っている。


http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20080706/p2というエントリを読むと、(C)である可能性が高いように思います。
NHKスペシャルワーキングプア」という番組に対するHALTANさんの見解は

もちろん自己責任主義は否定されるべきにせよ、かと言ってこういう番組が訴える階級闘争的な世界観にも限界があるのではないか? という話は、拙ブログでは散々行っているのでもう繰り返しません。さて、仮にこうした世界観が正しいとしましょうか?

しかしNスペの「ワーキングプア」が「階級闘争史観的世界観」などとマジでお考えなのでしょうかね? あの番組に対して「社会民主主義」的とか「再分配派」的だという評価はあると思いますが、あれを「階級闘争史観的」などと評するのは、かなりこじつけにこじつけを重なるか、あるいは「階級闘争史観」という言葉をむちゃくちゃテキトーに定義して使わない限り、難しいでしょう。

思わず「ワーキングプア」の録画をみなおしましたが、これを観て「階級闘争史観で何もかも説明できる人」の作品と受け止めるのは、かなり強度のバイアスがかからない限り無理だと思います。