どうして「野宿者」って言わずに「ホームレス」と呼ぶの?


「ホームレス」の人々の図書館利用に関する議論が行われているようだが、どうして「野宿者」と言わず「ホームレス」という言葉を使うのだろう。
ホームがある・ないという問題ではなく、「ホーム」の形態の差異の問題ではないだろうか。


さて、野宿者が一般的に抱える問題は、「水」消費が容易でないということ。このことが、身体の清拭、衣服の洗濯を困難にしている。「不潔」はその結果である。

なお、野宿者であっても身体・衣服ともに清潔な人は存在する。水を充分消費することが可能で、なおかつ身体の清拭・衣服の洗濯に必要な時間を割いているのは確かだろう。知人の風呂や洗濯機を借りる、有料の施設(銭湯やコインランドリーなど)を利用している、無料の水資源を充分に使用している、などなど。

いっぽう、野宿者でなくても、身体の清拭・衣服の洗濯に必要なだけの水を使えない人も存在する。
持ち家や借家に住みつつ水道代を払えず給水停止を受けている人や、水道のない(乏しい)物件に居住している人たちだ。

以上まとめると、(野宿者であるか否かを問わず)低所得・無所得ゆえ、身体の清拭・衣服の洗濯に必要な水を使用することが容易ではない人が存在する。
砕いて言うと、「金がない」ことが直ちに「水が使えない」となってしまう状態にあるわけだ。


そのような境遇の人々に、どのように、どの程度水を供給するのか(水だけではなく、身体の清拭・衣服の洗濯に必要なハードウェアを含めて)。
つまり、「金がない」≠「水が使えない」とはならないような施策を、行政がどのように用意するのか。これはセイフティーネットの問題のはずだ。

このような問題に対する議論の遅れ、対策の遅れ。その結果が「野宿者の図書館利用問題」だと思う。