読売は「絶望したら自殺すればいい」と言いたいわけ?


読売新聞「編集手帳」(6月10日付)が秋葉原の事件について言及している。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20080610-OYT1T00032.htm

 ほどけた靴ひもを結び直しても10秒はかかる。道で足をとめ、青く色づいたアジサイに見惚(みと)れても30秒は過ぎる。のどが渇き、駅の売店で何か飲んでも1分という時間は流れる◆居合わせる。居合わせない。ご遺族の方はきっと、靴ひもでいい、路傍の花でいい、わが子、わが夫に、立ち止まるわずかな時間も与えてくれなかった無情の天を仰ぐ思いでおられよう◆世の中が嫌になったのならば自分ひとりが世を去ればいいものを、「容疑者」という型通りの一語を添える気にもならない。加藤智大という25歳の男が東京・秋葉原で通行人を車ではね、ナイフで刺し、7人を殺した◆〈「はじめまして」/この一秒ほどの短い言葉に/一生のときめきを感じることがある〉。事件当日の朝、新聞で読んだ詩の一節が浮かんでは消える。時計のセイコーが23年前に一度だけ放送した“幻のCM”という◆犠牲者のひとり、東京芸術大学4年の武藤舞さん(21)は環境音楽を学び、コンサートを企画する会社から内定をもらったばかりだった。「はじめまして」。あこがれの職場で挨拶(あいさつ)する、ときめきの1秒は永遠に来ない。

「絶望したら自殺すればいいのに」と言いたいらしい。ひとりひとりの絶望に至る背景やプロセスを問わず。
この国では既に年間何万人も自殺しているわけだが、その人たちと同様に、黙って死ねばいいと。

ネオリベ路線に加担している人の本音が、無意識に表出しているように感じる。
しかし、読売のような大マスコミがこのような冷淡な態度を取れば取るほど、今回のような事件は続出するように思う。

※12日付けエントリへ続く。