東中野氏、「安全区以外は無人説」を自ら破綻させる


日本テレビのドキュメント放映を機に幕府山事件が話題となっている。
同事件については、「ゆう」さんが基本的なところを全て押さえられている。

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/saigen5.html


落ち穂拾い的に、いくつかの小論を書きます。
今回はその1。

戦後発表されたいわゆる「両角手記」は、小野賢二さんによってその信憑性が大きく疑われている証言だが、東中野氏は未だにこれを信用している。

「両角業作手記」より

 幕府山東側地区、及び幕府山付近に於いて得た捕虜の数は莫大なものであった。新聞は二万とか書いたが、実際は一万五千三百余であった。しかし、この中には婦女子あり、老人あり、全くの非戦闘員(南京より落ちのびたる市民多数)がいたので、これをより分けて解放した。残りは八千人程度であった。

『南京戦史資料集2』339〜341頁

両角手記によれば、幕府山で捕獲した捕虜は15300人余り、そのうち約15300−約8000=約7000人は「全くの非戦闘員」だったという。
この証言は、「市民は全て安全区内に避難し、安全区以外は無人だった」という俗説と相容れないものである。

さて、「安全区以外無人説」を強く主張する東中野氏は、当然この両角手記を「虚偽の記述がある」と批判すると思いきや、昨年(2007年)刊行の『再現 南京戦』では…

この大量の投降兵集団のなかには、南京から逃げてきたという非戦闘員もいた。老兵もいた。女性兵士もいた。少年兵というにはあまりに幼い、十二歳の少年もいた。そこで非戦闘員などはどんどん解放されて、両角連隊長の「回想」では、捕虜約「八千名」が残った。

(『再現 南京戦』 156頁)

基本的には両角の手記に則ったかたちで、東中野氏の認識がつくられている。ただし両角の「婦女子」を「女性兵士」に、「老人」を「老兵」に、「全くの非戦闘員(南京より落ちのびたる市民多数)」を「南京から逃げてきたという非戦闘員」という表現にすり替えている。
こういうすり替えを考慮したうえでもなお、東中野氏は「安全区以外にも市民が残留していた」ことを認めているのである。


つまり、「安全区以外に市民は残留していたか?」という命題に対して、東中野氏は
(1)「残留していない」という見解に立って安全区以外での市民殺害を否定し、
(2)「残留していた」という見解に立って両角の「多数の市民を釈放した」説を指示する

論点によって、正反対の見解を使い分けるというチグハグな、倒錯した言動を行っているのである。


参考;東中野氏の「倒錯した主張」ぶりについては、昨年秋に「bayonet」を2通りに翻訳するという問題を指摘したことがある。
東中野氏敗訴と「bayonet」問題」
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20071103/p1

もともと「安全区以外無人説」はかなり無理のある論であり、東中野氏は(両角手記擁護のために)、持説を自ら破綻させたしまった、といえる。