南京虐殺を正当化する人の思考


南京事件における虐殺を正当化する人の思考はいろいろ存在するが、今日エントリされた「原野商法」の人の発言は、一つの典型例として読めると思う。
この人は大虐殺はあっただろうという立場に立ちつつ、「仕方ない」と考えているわけだが…

http://d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20080104
(魚拓)http://s01.megalodon.jp/2008-0105-1348-01/d.hatena.ne.jp/yasudayasuhiro/20080104/p1

最後に。私個人としては南京大虐殺はあったと思う。想像して欲しい。君は銃を持っている。そんな時に街中で下の画像のような男と出会ったとする。

http://image.blog.livedoor.jp/dqnplus/imgs/6/3/63e466d7.jpg(←この男ね)

君は「なああああああにが、ジャンピングタイガーだああ!しかも金よこせだとおおおおおおお。」と叫んで銃をぶっ放すだろう。それは極めて普通の事だ。誰だってこんなヤツが街中にいたら発作的に殺すに決まっている。え?殺せない。君は寛容な人物だから左翼になるといいいよ。今の左翼には寛容さが足りないわけだし。

中国に行った日本人はこんなヤツラに囲まれて大変だったわけだ。だったら仕方ないよねー虐殺ぐらい。
でも中国人からすると、日本人の目にはナチュラルボーンテロリストにしか見えないジャンピングタイガー男も、一般市民に映っているわけで。「日本人は一般市民を殺した。残酷だ。」ってことになって摩擦が起きるという。ってのが事の真相ではではないか。

ここにあるのは金をせびる遊園地の男と、殺された南京市民や捕虜とを同一化してしまう思考回路であり、現在の中国への反感・嫌悪感を、1937年時点の虐殺の正当化に(安直に)つなげてしまう思考回路である。

このyasudayasuhiroさんは、「勉強不足も甚だしい」と自認しておられるから、「事の真相ではないか」という言説も、仮説と言うよりは願望のレベルで発語されているのだろう。
これは、ある種の人々にとっては、南京事件を向きあうその始原の時点で「レイシズム」のバイアスがかかっていることを如実に表している。そして、ある種の「願望」が存在することも表している。

おそらく彼はこう言いたいのだ。
「殺されてもしようがない人間が殺されたのさ。だから、気にすることはない」




しかし残存する日本軍史料・証言は、このような「願望」とは相容れない。
一例を紹介する。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050309

のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。(『熊本兵団戦史』)

 揚子江の流れの中に、川面に、民間人と思われる累々たる死体が浮かび、川の流れとともにゆっくりと流れていたのだ。
 そればかりか、波打ち際には、打ち寄せる波に、まるで流木のように死体がゆらぎ、河岸には折り重なった死体が見わたす限り、累積していた。それらのほとんどが、南京からの難民のようであり、その数は、何千、何万というおびただしい数に思えた。
 南京から逃げ出した民間人、男、女、子供に対し、機関銃、小銃によって無差別な掃射、銃撃がなされ、大殺戮がくり拡げられたことを、死骸の状況が生々しく物語っていた。道筋に延々と連なる死体は、銃撃の後、折り重なるようにして倒れている死骸に対して、重油をまき散らし、火をつけたのであろうか。焼死体となって、民間人か中国軍兵士か、男性か女性かの区別さえもつかないような状態であった。焼死体の中には、子供に間違いないと思われる死体も、おびただしくあり、ほとんどが民間人に間違いないと思われた。(創価学会青年部反戦出版委員会編「戦争を知らない世代へ」第53巻「揚子江が哭いている 熊本第六師団出兵の記録」所収・第六師団輜重第六連隊所属高城守一氏の証言)

http://d.hatena.ne.jp/Jodorowsky/20070926

そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと、「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。(日本大使館日高信六郎参事官の証言)

TBが送られてきたので、↓以下のエントリに続く。