南京事件70周年であり、南京侵略70年でもあり
「クッキーと紅茶と」を開設して3回目の12月13日を迎えた。
一般的には、南京事件の開始は1937年12月13日とされている。ということで、今日は70周年の日にあたる。
と、あらたまってはみたものの。
南京事件については、私にはまだまだわからないこと、知らないことが多い。中国では、最近合計55巻もの資料集が2回に渡り刊行されたが、中国語を読めない私としては、日本語で書かれた(及び翻訳された)文献や資料の範囲で、南京事件を知り、向き合うことを続けてきた。
日本語文献(その多くは日本軍関連の史料である)に限定される、ということの制約は大きい。しかしそれでも、大きく2つの事柄について理解を深めることができた。
ひとつは、南京事件の発生プロセス、発生の背景についての理解である。
もうひとつは南京事件否定派の言説が、いかなるトリックを用いて成立しているかについての理解である。
しかし、南京事件と向きあうこととは、どういうことなのか。どのように向きあえば、充分に向きあったと言えるのか、まだまだ模索中である。
(以下補足)
最低限言えることは、南京事件とは
(1)南京侵略(南京侵攻)が行われ、
(2)その過程で南京事件も起こった。
この二つ、それぞれの犯罪性に留意すべきということだ。
ちなみに、否定派の書籍の中でもっとも多く売れたのは東中野修道氏の『南京事件「証拠写真」を検証する』だろうが、南京戦を解説した同書の1章において、南京戦が「侵攻」であったことへの言及は、ないに等しい。
おとといの「読売」社説(07年12月11日付)にも、似たような態度が伺える。
完全否定論に与していないだけマシ、ではあるのだが。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071210ig91.htm
この読売社説は、「南京事件は日中の国境線上での出来事ではない」「片方の軍がもう片方の領土300キロ内陸に侵略(侵攻)していなかったら、起こりえなかった事件である」という事実への留意を欠いている。
このような、侵略行為に対する「空とぼけ」的な態度もまた、批判的に捉え返されるべきである。