万単位の殺害に「贖罪意識感じる必要はない」と述べる潜水艦さん

潜水艦さんが南京事件全体についての見解を述べているので引用。
http://blog.goo.ne.jp/ojisannsama/e/4265a895a10f7e5aff58215648acacf4コメント欄

だけどさ、南京で何万人か殺されてたとしても贖罪意識感じる必要はないと思うね。
先に仕掛けてきたのは国民党だし、いい加減な裁判とはいえ責任追及も終わってる。賠償の請求権とかも終わってるわけだしね。

「先に仕掛けられたら何万人殺しても贖罪意識を感じる必要がない」という見解のようです。


この論理、大国が挑発して小国を「切れさせ」、それを大義名分に大国が「何万人か殺し」ても贖罪意識はいらないということですね。
しかし、世界中の侵略戦争の多くはそのような、見せかけの「報復」を理由に何万もの虐殺が行われてきた歴史ではないでしょうか。仮に「報復」だと見なしても明らかな過剰報復だし、実際のところ多くのケースは見せかけの「報復」・「報復」に見せかけた大量殺戮、だったりするわけです。



日高証言をスルーし続ける潜水艦さん

もう一つ潜水艦さんの主張として以下のようなものがありますが、

南京話にしても、中国側が言うような好き放題虐殺ってのは実情じゃないっぽいのが解ったから満足。

当ブログで紹介しているとおり、日高信六郎氏の以下の証言があるのですが、やはり「都合の悪い文字は読めない症候群」なのでしょう。

そして一度残虐な行為が始まると自然残虐なことに慣れ、また一種の嗜虐的心理になるらしい。戦争がすんでホッとしたときに、食糧はないし、燃料もない。みんなが勝手に徴発を始める。床をはがして燃す前に、床そのものに火をつける。荷物を市民に運ばせて、用が済むと「ご苦労さん」という代りに射ち殺してしまう。不感症になっていて、たいして驚かないという有様であった。

見たくない日本側史料はスルーする。
何万人かの殺害をも「贖罪意識の必要なし」と扱う。
常習性の虚言を繰り返す、
常に口汚い言葉で長文コメントする(人のブログで)。
「宗教サヨク」「哀れなりサヨク」と連呼する。


私が「クッキーと紅茶と」を始めた頃に予想していた「粘着」の要素を、ほぼ全て兼ね備えた人が「潜水艦」さんです(笑)。私の作業は「日本側史料」によって「日本史の出来事」として南京事件をまず把握し、「日本史の出来事」である南京事件を反省的・批判的に捉える、というものです(その作業の中から、例えば「虐待の連鎖」という仮説が生み出されました)。
そして次には、南京事件を「人類の記憶」として、人類の一員として批判的・反省的に捉え、発信するというものです。
言い換えると、被害者(中国)の側が言おうが言うまいが、日本人は南京事件の日本軍の「愚行」を批判する必要があるし、その「愚行」批判や反省は、世界に向けて発信するべきだというのが基本的姿勢です。


「愚行」批判を無効化させようとするバッシング
これに対して予想されるバッシングは、「口汚い言葉の執拗な使用で消耗を誘う」「極端な(「宗教サヨク」などの)ラベリング」「意識的なウソ」「都合の悪い日本軍史料はスルー」そして、「批判・反省不要論」といったものでした。(今回の潜水艦さんは「贖罪不要論」であり、「批判・反省不要論」とは若干異なりますが、大枠では一致していますね)
これらのバッシングは、結局「愚行」批判の無力化を意図しているわけですが、それってすごくつまらない行為だと思いますね。