インドネシアの日本軍政の概要

インドネシア 侵略と独立』(戦争犠牲者を心に刻む会編、東方出版)所収、首藤もと子氏(現・筑波大教授)の「インドネシアへの日本軍の侵略」の最後の部分を引用します。

「日本軍政をどう評価するかといいますと、ある意味ではオランダ時代に無かったような、小さな村々に至るまで政治目的のために大衆を動員するというのは、たしかに日本軍政の時に行われ、そこから新しい社会的な流動性が生じたわけです。

しかし、結局軍政の最大の目的が日本の戦争遂行に必要なための動員であり組織化だったということは事実であり、それによってインドネシアの社会は、一方ではたいへんな困難を極め、民衆の蜂起も起きたということです。

「困難」とは、たとえば「ロームシャ」問題です。
前エントリで紹介したナチール氏は「米の生産技術向上」を賞揚していますが、米の生産増強のために水田を新たに作られ、その用水路工事に「ロームシャ」が徴用されたことは留意すべきでしょう。そして、43年以降は米収穫の30%が日本軍に供出、30%が備蓄用に回され(残りの40%も強制的に収用される場合が少なくないとされる)、ジャワ島では米が増産されるいっぽうで農民の飢えが広がるという現象が起こっています。
そして、別の「困難」として、マルディエム氏の身に起こった慰安婦の問題があるわけです。

したがって戦後の独立を考える場合に、日本軍政を経て、インドネシアが独立を宣言したという結果と、日本軍政の意図というものを混同してはいけないだろうと思います。

日本軍政を始めるにあたっての意図と、戦争が終わって日本軍政が終わりインドネシアが独立したという結果とは、この意図があってこの結果があったというように直接結びつく性質のものではなく、軍政の意図はやはり日本の戦争遂行によって必要な組織化にすぎなかったということだろうと思います。