海南友子氏を誹謗中傷する「SAPIO」誌記事のお粗末さ

今日はインドネシア関連です。

SAPIO」07年2月14日号で海南友子氏が批判されています。批判というより、中傷という誹謗表現が妥当ですが。記事を書いたのは「ジャーナリスト」の水間政憲氏です。

知られざる反日包囲網を撃つ!/水間政憲 第3弾 「反日映画」が中国で大反響 今やアイリス・チャンを凌ぐ人気の元NHK女性ディレクター

タイトルからして煽りモード前回ですが、リードはさらに煽りまくりです。(中略)は青狐によるもの。

「中国でいまアイリス・チャン以上に期待されているマドンナがいる」
世界の反日団体の活動状況をインターネットなどで追い続ける関係者の間ではそんな話が飛び交っている。(中略)そのアイリス・チャンと入れ替わるように、新たな反日マドンナが出現しているというのだ。

そのマドンナは元NHKの報道ディレクターで現在はフリーのドキュメンタリー映画監督として活動する海南友子氏(36)である。

反日マドンナ」という表現がずいぶんエキセントリックですが、とりあえず、どういう根拠で水間氏が海南氏を批判しているのか確認してみましょう。

彼女が独立して撮ったというドキュメントはどんなものか?
第一作は、元インドネシア慰安婦マルディエムをテーマにした『マルディエム 彼女の人生に起きたこと』(01年、92分)である。

次から、この作品への批判(というよりレッテル貼り)が始まります。

 この作品は冒頭、『1941年12月、日本軍の侵略が始まります。日本軍は初め、植民地からの解放者のようにふるまいました。しかし(中略)日本の文化や宗教の強制(をしました)」というナレーションで始まる。
 しかし、すでにこの時点でこの映画がドキュメンタリー映画として成り立たないことが証明されている。史実を知っているのか、確信犯なのか。まず、この”問題ナレーション”を検証してみよう。

「映画がドキュメンタリー映画として成り立たないことが証明されている」のだそうです。作品の価値を大きく否定する発言だと思いますが、では水間氏は何を根拠に「証明されている」と述べているのでしょうか。

水間氏が「証明されている」根拠として紹介したのは以下の2冊の書籍の記述です。
・名越不荒之助編「世界から見た大東亜戦争」所収の、元インドネシア首相モハメッド・ナチール氏の発言。
・阿羅健一著『ジャカルタ夜明け前』所収、日本軍宣伝班所属だった金子智一氏の回想。
この2つを紹介したあとに、水間氏は「日本の宗教の強制はなかった」と断定します。その部分を全文引用しましょう。なお、引用中の{中略}は水間氏によるものです。

日本とオランダの違いはどのようなものでしたか。
ナチール氏(以下N)「イスラム教について言えば、オランダはイスラム教徒を叩くことに専念しましたが、日本軍は上陸するとすぐにイスラム教徒にアプローチしました」
大東亜戦争をどう評価しますか。
大東亜戦争は、私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。(中略)オランダは有限不実行だったが、日本軍は有言実行でした。その第一は植民地統治の粉砕です。第二は、ペタ(祖国防衛義勇軍)を組織したこと、すなわち軍事訓練です。第三は、インドネシア語の普及です。第四は、イスラム団結を計ったことです。第五は、スカルノやハッタをはじめとして行政官の猛訓練です。第六は、稲作および工業技術の向上です。

また、イスラム教に関しては日本軍宣伝班所属だった金子智一氏の当時をふり返っての「イスラム教はどんな宗教であるとか、寺院にはみだりに入らないようにと書いたパンフレットを作って兵隊に配布して教育につとめていました」『ジャカルタ夜明け前』阿羅健一著)という証言もある。
 海南氏のいう「日本の宗教の強制」はなかったのである。映画『マルディエム…』は、史実を無視した「反日宣伝映画」の謗りを免れまい。


水間氏の「結論」には大きく2つの問題があります。
1;(一読してお気づきになった人もいると思いますが)、そもそも水間氏は「日本の宗教の強制の有無」に関する証言を紹介していません。
金子証言には「既存の宗教(施設)への知識・注意事項」しか言及されていませんし、ナチール氏の証言にも「(日本の)宗教の強制の有無」への言及はありません。
つまり水間氏は「日本の宗教の強制の不在」を示す証拠・証言を提示しないまま、「強制はなかったのである」と断定しているわけです。無根拠に。
水間さん、どこかの文章塾に行って、論理的な文章を書く練習をしたほうがいいですよ。



2:そして、日本軍政下インドネシアに詳しい方ならご存じのとおり、「日本の宗教の強制」といえば、真っ先に思い起こされるのは「宮城遙拝の強制」ですが、水間氏は「宮城遙拝の強制」を否定するどころか、「宮城遙拝」自体に一言も言及していません。彼は「宮城遙拝」を知らなかったのでしょうか。
宮城遙拝は、たとえば山川出版社の「新版世界各国史」シリーズの「東南アジア島嶼部』」(池端雪浦編、1999年)」に言及がありますし、倉沢愛子氏の『「大東亜」戦争を知っていますか』(講談社現代新書)にも「宮城遙拝」が言及されています。
倉沢氏のサントリー学芸賞受賞作『日本占領下のジャワ農村の変容』(草思社)には、日本軍による文化強制の実態が詳述されています。
http://www.suntory.co.jp/sfnd/gakugei/sha_fu0029.html
ネットでは、例えば以下のサイトがわかりやすいでしょう。http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/indonesia/dokuritu_undou_to_nihonno_gunsei.html

こういう通説を完全にスルーしたところで「宗教強制はなかった」などという言説が成り立つわけがないですね。水間氏が最低限の下調べもしないで記事を書いたのか、知っていて意図的に隠蔽したのかは不明ですが。

つまり、水間氏の

 海南氏のいう「日本の宗教の強制」はなかったのである。

という結論は、
1;根拠なき断定
2:(意図的または結果的に)隠蔽
の2つで成立しているわけです。

そしてこの「結論」を根拠に、水間氏は映画『マルディエム』に対し「反日宣伝映画」というレッテルを貼ってしまったわけです。
水間氏は、今すぐ「ジャーナリスト」という肩書きをはずすべきでしょう。
水間氏の言動こそが、「世論工作員」とか「アジテーター」のレベルであることが、今回明確になったわけですから。

この記事、後半は海南氏の第2作「にがい涙の大地から」への批判ですが、これについては少し先のエントリで。
その前に、水間氏が孫引きしたナチール氏の証言、あるいはインドネシアでの日本軍占領政策全般について、次(または次の次)のエントリでとりあげる予定です。