遊就館が語る物語よりもずっと悲惨な「国民の悲劇」

某ブログでの拙コメントを転載。
「ほめてごまかすメソッド」によって美化される前の、むき出しの「悲劇」に向き合うべきだ。

遊就館は日本の戦争を「自存自衛のための戦い」と位置づけていますが、しかし1937年から8年続いた「日中戦争」は「自存自衛のための戦い」とか「日本の未来のための戦い」だったのでしょうか。しかも日中戦争をおこなわなければ(あるいは長期化せずにいたら)1941年からの「大東亜戦争」もなかったはずですよね。


そして日中戦争については遊就館ですら「自存自衛のための戦い」とは説明していません。
あれは日本国民にとっては必要性のない戦争でした。国民は、不要の戦争に動員され強制的に人殺しをさせられた、というのが実情ではないでしょうか。そして中国では約25万の日本兵が戦死し、約25万の日本兵が餓死・病死しています。そして日中戦争をやめなかったことによって(大東亜戦争で)さらに90万が戦死し、90万が餓死・病死しています。*1


遊就館は兵士の餓死・病死についてほとんど説明をしていません。


まとめると、死んだ兵士たちは「現在のわれわれのために」命を賭けて戦ったと死んだというよりも、強制的に拉致されて不要な労働(人殺し)をさせられたあげく、食糧も与えられずに、半分は戦わずして餓死・病死に至った、というのが、より「現実」でしょう。


こういう、どうしようもないほど悲惨な「国民の悲劇」こそが伝えられるべきことであって遊就館のように「とても意味のある死だった」かのように語るのは、死んだ者たちの本当の悲劇を隠蔽し、不要な戦争に国民を送り込んだ「国民の敵」の責任を隠蔽しているだけではないでしょうか。


遊就館に行った者同士の対話として、上記のようなコメントを行った。

*1:藤原彰「餓死した英霊」による