「国」ではない「公共圏」で「動員されて死んだ者」を追悼する(メモ)

「動員されて死んだ者」を追悼しなければならない、ということを前提としよう。
しかし、それは「国家」によって追悼されるべきか? 国立の施設にて追悼されるべきか?

「動員した側」である国家が「動員されて死んだ者」を追悼する、という形態を採用する限り、靖国であろうとなかろうと「ほめてごまかすメソッド」が発動される潜在的危険があるのではないか?
どうやってその罠から逃れることができるか?




靖国か国立追悼施設か」という二分論にとらわれず、もう少し柔軟に考えることはできないだろうか。
あくまで「動員される側」の一員として「動員被害者」を追悼する、というフォーマットを考えることは可能か。
そのような問題を考えるとき、NHKスペシャル日中戦争」に出てきた鎮魂堂のことを想起した。

以下は番組を見た範囲での印象。
福井県勝山市竜谷の鎮魂堂は稲穂たなびく農村の中に、ほんとに風景にとけ込むようにあった。
木造の小さなお堂で、8帖ほどの畳が敷かれ、梁に13人の遺影が飾られている。3人が日中戦争、10人が太平洋戦争。全て第九師団に徴兵され死んだ若者たちである。

彼らの死はそれぞれの家族で悼まれているだろうが、同時に地域社会(集落)が彼らの死を悼み、小さなお堂を作り維持している。それは集落という公共圏で、彼らの名と顔を記憶し死を悼んでいく、という意志のあらわれであろう。
それは、遠いどこかで命を失った者の魂たちに「帰ってくる場所」を用意した、いうことかもしれない。


13人がどういうコンテクストで追悼されているかは番組を見ただけではわからない。しかし集落という「国家でない公共圏」で彼らの名と顔を記憶し追悼するという形態は、「動員される側」が「動員されて死んだ人たち」を追悼するという点で、今後を考える一つのヒントになるように思う。*1



後日追記するかもしれないがとりあえずエントリ。

*1:もちろんコンテクストによっては顕彰施設のミニバージョンにもなりうるわけだが、戦争に動員し生命を収奪してきた国家に対する、地域社会の側のささやかな抗議にもなりうるだろう