青狐対「南京事件はなかった』系ブロガー;対立軸はどこにあった?(1)


あまりに断片的なエントリで恐縮ですが、煙さんのブログでの拙コメントを転載。
http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20060709/1152391077#c


この議論の契機は、例の野良猫さんの「全面敗北宣言」なのだが、(この「全面敗北宣言」という言葉、NaknishiBさんのところでギャグ的に使われている。http://d.hatena.ne.jp/NakanishiB/20060404参照
。「デビューボ」に続く流行語にしよう。)

それはさておき、青狐と「南京事件なかった派』ブロガーとは、どういう対立軸のもとで議論していたのか?

# bluefox014 『まだ整理途中ですが、思うところを少し。

煙さんの整理は「数」問題に焦点を当てればそのとおりなのですが、実はそれが全てではないと思うのです。

自分の体験から鑑みるに、多くの場合、実際の対立軸は「歴史学者の書いた概説書を読んでいる」人と「読んでいない」人だったりするんですよ。多くの人は、「読んでいない」状態で、それ以外の情報で「なかった」「捏造」「ありえない」という結論に至っているわけです。

ただ、問題は「数」の問題にとどまらないわけです。「南京事件」の全体像への「知ったかぶり」、乏しい情報をもとに的外れなイメージでとらえている、このことがまず問題で、その「知ったかぶり」の一部として「数」問題もある。

で、そういう人に対し、「なかった」「捏造」「ありえない」という根拠はウソやトリックだらけだよ、いいかげんな根拠で安直に言わない方がいいよ、というのは「知ったかぶり」に気づいてもらうための「契機」にすぎず、メッセージの核心は「とりあえず『南京事件 小さな資料集』読んでみたら」「ちゃんと歴史学者による概説書を読んだ方がいいよ」「それまで持論を保留した方がいいよ」というあたりだと思うのです。

ですから対立軸は「知ったかぶり派」対「知ったかぶりしない派」なのではないかと。』 (2006/07/09 20:50)