「岡村寧次大将陣中感想録」と「読みたくない字は読まないメソッド」?

「岡村寧次大将陣中感想録」には驚くほど多数のアクセスをいただきました。
いっぽう、以下のような受け取り方をされる人もいる。この間議論をしているADON-Kさんだが、これほど重要な史料に対してこんな受け取り方をされては、議論のしようがないと思う。

http://adon-k.seesaa.net/article/18421170.html

http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20060701/p1
(中略)

>第十一軍総司令官として武漢戦を率いた岡村寧次大将が南京事件について受けた報告については、これまでも何度も紹介してきたが、その後発見された史料にははっきりと「約4〜5万の大殺戮」と明記されていた。



その後発見って書いてあるけどこれ前から有った話ですよね?

http://www.ne.jp/asahi/unko/tamezou/nankin/alleged/chapter2-1.html
岡村寧次はどうか。「南京攻略時、数万の市民に村する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である」と回想録に書いていることは確かだ。しかし、この「回想録」は、一九六三年に「記憶を呼び戻して」書いたものである上、彼は当時南京戦に参加していない。一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり、その中身も「掠奪・強姦」であった。民間人を対象とした大量殺害を行ったとは一言も言っていない。


一応こんなソースもあるようですので参考までに。
Posted by ADON-K at 2006年07月02日 01:54

まず第一に、「前から有った」回想録ではなく、今回新たに「岡村大将陣中感想録」が発見されたというエントリだったのだが、こういう否定のされ方をされてはお話にならない。


だいたい、今回紹介した「岡村寧次大将陣中感想録」は(太字青狐)

南京攻略戦に於て約四、五万に上る大殺戮、市民に対する掠奪、強姦多数なりしは事実なるか如し

という記述がキモなのに、平然と「その中身も「掠奪・強姦」であった」という文を反論として引用してくる神経が理解できない。読みたくない字は読めなくなるのだろうか。

それに「陣中感想録」の当該文章は、「一九六三年に「記憶を呼び戻して」書いたものである」ものではなく、「陣中感想録」という題名から、また一九三八年七月一三日という日付があることからも、38年当時に書かれた可能性が高いものである。


そしてもう一つ問題は、宮崎・原田・萩原の情報源を「一九三八年六月に「安全区委員会の被害届」を読んだ参謀などから上海で日本軍の暴行を開いただけであり」と勝手に断定して述べていることである。

決めつけメソッド。

既に述べたように原田熊吉少将は中支方面軍の特務部長でもあった人間で、事件当時の南京に入っており、「ラーベの日記」にも登場する。いわば事件の現場を見ている人間である。にもかかわらず情報源を「安全区委員会の被害届」と決めつけるのは、意図的な矮小化・無効化と思われてもしかたがないだろう。



読みたくない字は読めなくなるのか、それとも私のエントリをきちんと読まずにレスされているのか、いずれにしてもそういう態度の人とは議論を続けるのは無理かもしれない。