「東中野氏の新著で浮かれる人」が出てくる前に

メモ。
『WHAT WAR MEANS』に関する議論
http://ja.wikipedia.org/wiki/ハロルド・J・ティンパーリ
#.E3.80.8EWHAT_WAR_MEANS.E3.80.8F.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AD.B0.E8.AB.96

「国民党中央宣伝部国際宣伝処工作概要」(台北・党史館所蔵)という1941年に作成された文書は、国際宣伝処が『外国人目睹之日軍暴行』("What War Means"の中国語書名)を宣伝書として編集印刷したとしている。(東中野修道『南京「虐殺」研究の最前線・平成十五年版』p.265-6)また、国際宣伝処処長曽虚白の回想記『曽虚白自伝(上集)』に「ティンパーリーとスマイスに金を払って目撃者として二冊の本を書いてもらった」記されていることから、北村稔は、これら二つの資料の背後には国際宣伝処が控えていたとする。(『「南京事件」の探究』p.43-4)しかし、渡辺久志は、曽虚白がティンパーリーを日本軍占領下の南京にいたとする誤りを前提として語っていることなどを指摘、この証言には問題があるとする。また、曽虚白はティンパーリーが当時、中央宣伝部と関係あったとしていないとして渡辺は北村説に疑問を投げかけている。(『季刊 中帰連』21号 2002・夏, p.69-72) また、井上久士は「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」(中国第二歴史档案館所蔵)に「われわれはティンパリー本人および彼を通じてスマイスの書いた二冊の日本軍の南京大虐殺目撃実録を買い取り、印刷出版した」とあり、曽虚白の回想記の「二冊の本を書いてもらった」という記述は誤りとしている。(『現代歴史学南京事件』p.249)

「中央宣伝部国際宣伝処二十七年度工作報告」によれば、スマイスは「頼まれて書いた」のではなく、スマイスが既に書いた報告書を国民党が「買い取り」印刷した、ということになる。