「韓国は“なぜ”反日か?」というサイトの南京事件に関する記述への批判(転載)


やっと5月になった。時間ができたと浮かれているうちにどんどん時間がすぎていかないように気をつけよう。キームン紅茶にミルクを入れてたまっていた本を読み始めているところです。(ところで、オレンジ・ペコーってセイロン紅茶でしたっけ)
さて、4月に読了した高原基彰氏の「不安型ナショナリズムの時代」を読んで想起したのは、以下のサイトのことだった。この「韓国は“なぜ”反日か?」というサイト、今もさまざまなブログで肯定的に紹介されていること自体がすごい。

http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea.html

南京事件南京大虐殺)に関する部分については、某ブログで反論を加えたので転載する。多少大ざっぱんに書いている部分もあるが、一つの参考になれば幸いです。

デマサイトに騙されないように1 (青狐(bluefox014))

はじめまして。南京事件のブログを開いている者です。
始めに自分のスタンスを述べておくと、南京事件の被害者数については、他の多くの研究者と同じく「わからない」、神のみぞ知る、という立場です。したがって中国の30万人説に対しては同意も否定もしません。しかし、ネット上にある「デマ」については、容赦なく批判を加えます。
さて、紹介されているHPはよくあるデマサイトの一つのようですね。
いくつかを指摘しましょう。


>・原爆被害者ですら数十万人なのに『一軍隊が30万も殺害』するのは不可能。


一軍隊といいますが、南京戦に参加した日本軍は10万人以上、一説には20万近くとされています。しかも包囲戦でした。物理的には不可能とは言えないでしょう。
ちなみに原爆も、広島や長崎という中都市だったから死者が10万規模だったわけです。これが東京・大阪・名古屋だったら30万を大きく超えた可能性は小さくないでしょう。東京大空襲ですら墨東地区のみの空爆だったから10万規模の死者ですんだわけで、城南地区を含め当時の東京市全体に空爆を仕掛けていたらとても死者10万ですまなかったでしょう。
ですから、「中都市に落とした原爆」と「中華民国の首都への包囲戦」を比較することは、あまり意味があるとは思えません。


>・そもそも『20万人しか居なかった街で30万人』が殺されるわけがない。


この点、素人だましの典型だと思いますが、20万というのは南京の避難地区である「安全区」の人口です。南京事件は当時の「南京市」全域、しかも南京城の城内よりも城外で多く殺害事件が起こったとされていますから、南京市全域の人口を議論しないと意味がありません。
しかし、「20万」というのは南京の避難地区である「安全区」の人口です。東京で例えれば、東京で30万殺されたという主張に対し「港区の人口は20万だった」、だから30万殺されるわけがない、と反論しているようなものです。
加えて、中国の主張する「30万」とは市民と捕虜殺害を合わせた数です。ですから反論するには、「市民と兵士合わせて××万」と言わなければ、そもそも反論として成立しません。この程度の大前提すら無視している「20万…」という主張は、典型的素人だましと言わざるをえませんね。

ちなみに、元々南京市は100万都市です。事件の20日前には50万まで人口が減少したようですが、その後の人口統計は不明です。

デマサイトに騙されないように2 (青狐)

>・仮に南京市に30万人がいたとして、それだけの人数が順番待ちでもしてたかのように『30万人全員が逃げずに殺される』などという話は現実的にはありえない。


中国側の主張は、事件前の推定人口が45万程度、そのうち25万が生き残って20万殺され、不法殺害された兵士が10万、合計30万殺害ということのようです。
別に中国側も「そこにいた30万全員が殺された」などとは主張していないようです。


>・虐殺後に減るならわかるが『逆に南京の人口が急増してることが不自然』。


この点は、まさに「素人だまし」のデマテクニックの典型と思います。
人口が増えたとされているのは「相対的に安全だった」安全区の人口ですよ。「危険な地域」から「相対的に安全な安全区」に人々が避難したら、「安全区の人口」が増大するのは当たり前、ですよね。


>・なぜか被害者数が年々『水増し』されている。


別に中国側は「水増し」などしておらず、30万という数字のままです。40万という説を出す学者は中国にいますが、対象とする空間範囲が異なるわけですから、異なるのは当たり前の話でしょう。


>・「南京全市民は約20万人が全員無事だった」と、現地の安全区国際委員長から日本軍に感謝状が出されている。


これも「素人だまし」の典型的テクニックですね。
そもそも国際委は日本軍に「感謝状」など出していません。これは国際委第1号文書のことを指しているわけですが、同文書の全文を読んでみることをお勧めします。それはともかく、確かに第1号文書には前置きの部分で「感謝」の意が記述されています。しかし、第1号文書の日付は「12月13日」ですよ。安全区で「日本軍の暴行事件が始まる」のは13日より後のことです。
つまり「事件前の文書」を根拠に、「事件がなかった」と主張しているわけで、典型的な「デマサイト」の手法ですね。

デマサイトに騙されないように3 (青狐)

>・市民が避難した安全区に逃げ込んで一般市民の衣服を奪って武器を隠し
 持って日本を騙し撃ちする卑怯な兵隊を「便衣兵」というが、これらを
 捕まえて処刑するのは戦時国際法において合法な“戦闘行為”であり
 虐殺ではない。これを虐殺というのは逆恨みでしかない。


そもそも日本軍が他国の首都に軍事侵入すること自体が立派な主権侵害であり、当時の国際法の基本をなす「不戦条約」違反、つまり国際法的に非合法なのですが、それはさておき、軍人であれ便衣兵であれ市民ゲリラであれ、いったん「捕捉」した時点で「戦闘」は終了しているというのが戦時国際法の基本です。
捕捉した人間は戦時裁判での「死刑判決」という根拠なしには殺害できません。ところが、今日に至るまで日本軍の史料には処刑を根拠づける「判決文」が一通も確認されていません。判決文という根拠がないかぎり、「処刑による殺害で合法」という主張は難しいでしょう。


>・日本の『敵国である外国人カメラマン』もたくさん南京市に取材に行って
 いたのに『虐殺写真が一枚も撮られていない』。存在しないものは撮れない。


「外国人カメラマン」ではなく外国人記者だと思いますが、外国人記者は5社各1名、合計5人、それも事件発生から最初の3日間しか南京に滞在していません。さらに、当時の南京は当時の東京と同規模の大都市ですが、外国人記者が取材できたのはごく限られた地域でした。時間的・空間的制約に加えて、日本軍から立ち入り制限されたという事例もあります。
東京の赤坂で殺人事件を取材していた記者は浅草で起こった殺人事件を目撃できないように、安全区内で取材していた記者は幕府山の虐殺を取材できないし、下関の虐殺事件もほとんど取材できないというだけの話です。


・河に流しても燃やしても痕跡が残るはずの『30万人もの死体が完全に
 行方不明』。何の痕跡もなく人が消えるなどありえない。


「完全に行方不明」というのは、否定派の学者ですら誰も言わない、100%のデマですね。素人だましもここまでくると悪質です。
死体処理は当時の日本の新聞でも「5万ほどの死体を埋葬中」と報道しているわけで、中国側の主張では15万以上の死体処理記録を証拠としています。これに揚子江上で殺害した数、河岸で殺害して揚子江に流した数等が加算されるわけですね。日本軍史料でも死体に関する記述はわんさとあるわけです。

デマサイトに騙されないように4 (青狐)

…という感じです。1点2点ならまだしも、こんなにデタラメな記述ばかりのサイトのようですから、あまり鵜呑みにしない方がいいと思いますよ。
例のサイトの存在が物語っているのは、いわゆる「プロパガンダ」は中国やら韓国にだけあるのではなく、日本にもある、それも「反日プロパガンダ」を批判するという大義名分を掲げるサイトの多くが、やはり「デマ」だらけだったりする、という事実です。


在日の問題については専門外でわからないのですが、印象としては、戦前のナチスドイツが政権奪取前に行った「ユダヤ人批判」キャンペーンと手法が近いものがありますね。ナチスは、当時のドイツの「格差社会」の問題をユダヤ人対ドイツ人の問題にすり替えて、格差社会に対する人々のくすぶった感情を反ユダヤ運動に誘導していったわけですが、現代の日本も格差社会がもたらす不平不満を「反・在日」感情などに誘導させる動きがありますね。

高原基彰によると、格差社会の問題から目を背けさせるために異民族を憎悪のターゲットにしている、というわけですね。(「不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由」)