川というよりも湿原をイメージしたほうが


先日の私のコメントの後に、gntさんが下のように発言された。
先日、私は「何本の川が流れているのか」という問いを立てたのだが、川の数を数えるよりも、こういう発想に立つほうがいいかも。

# gnt
エスニシティ方面からの意見。根であれ、河口であれ、「1つ」を仮想することが危険であると思います。uumin3さんのたとえを借りるならば「湿原」あるいは「氾濫原」として捉えるべきではないでしょうか、とたとえ話をさらにたとえてみる。国家、民族、家族、言語…様々な文脈の線が重なり合って網を作り、その結節点がアイデンティ(エスニシティ含む)、みたいなことを言ったのは誰でしたっけ? リアルに忘れたので申し訳ないのですが。』

その湿原は「人間社会」全体の比喩なわけで、その湿原のどこからどこまでを「日本」と見なすのか、つまり湿原の一部を「切り取る」という作業が介在する。