範囲を「切り取る」、その恣意性

(以下10月17日追加)

「切り取る」という言葉はhokusyuさんが使われているもの。

http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/comment?date=20051012#c

# hokusyu
『あと、「日本人」のような概念って「ある」ものではなくて、「解釈する」もしくは「切り取る」ものではないでしょうか。我々の社会はものすごく複雑に組み合わさっていて、切り取ろうと思えばそこからどんな概念でも切り取ることが出来る。そこでなぜあなたは「日本」という概念を切り取ることが自明だと思うの?ということが、要するにフィクション論のキモのような気がします。』 (2005/10/12 03:24)

そして、その切り取られた範囲の中で、共同性を信じる/誇るということは、「囲う」行為であると指摘する。

http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/20051013#c

# hokusyu
『(中略)共同性を信じる/誇るということは、あるものを囲うということです。囲うということは他のものを排除するということです。排除した他者を脅威と思わせることなんて簡単です。
ある共同姓を信じる/誇ることにおいて、「理屈はいらないんだ」という論理は、問題を表出させる可能性を広げているだけなのではないでしょうか。』 (2005/10/13 04:40)