野原さんの問題提起

「彎曲していく日常」より
8月27日「責任」
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050827#p1

日本というネイション(日本人)が中国侵略したと認めよう。歴史的に成立していた磁場の中で抑圧関係に棹さしてわたしが生きていたとしても、ひとりのわたしが被害者との間にすでに歴史的関係を成立させていたと言えるのか。日本人が加害者であり中国人が被害者なのか。大ざっぱに言えばそう言っても良いだろうが、厳密にはなるべく言わない方がよいと思う。

磁場がある以上、存在の受けていた内圧の違い“なんらかの責任”は認めても良いが、そのとき「日本人の責任」というフレーズを成立させることは強力過ぎるのでなるべくやめた方が良い。

この意味で、「「国民」という抽象的な集合体がまとまって罪を負っているかのような語り方をすれば、国民を構成する各個人がそれぞれ異なった仕方で、異なった重さで負っているはずの罪の具体的な中身がかえって曖昧なものになってしまう。各個人が、自分の罪について主体的に考えるべきだ」というヤスパースの意見に賛成です。


これを読んで頭の中でいろいろな事がぐるぐる回っているのだが、文章にまとまりそうもない、今のところは。基本的には野原さんの問題意識に大きく共感します。ぐるぐる回っているのは、南京侵攻のことに限らず東京大空襲のことだったりする。