工学博士A.Yottiさんのご乱心(トンデモ議論)3

続いて「国際舞台への訴え」に関する議論。
ほぼ上と同様。

訴えが存在するのに、「訴えなかった」と断定する。

sanhao_82
「また、そんな「大虐殺」が繰り返されたのに、なぜ中華民国政府は国際舞台で訴えなかったんでしょうかね。南京事件の明くる年である1938年1月26日には、第100回国際連盟理事会が、5月9日からは第101回の理事会が開催されていますが、中華民国代表は「南京大虐殺」を問題提起していない。このとき、中華民国代表は南京空爆については非難してるんですよ。これも不自然ですね。(2005/08/25 16:47)

そう発言されるからには、sanhao_82 さんは当然「国際舞台」での中華民国の発言を調べたのでしょうね。
で、1938年の2月の国際連盟理事会第六会議での中華民国代表の演説の内容は「南京事件を訴えていない」と解釈されるわけだ。全く、sanhao_82 さんの特異な日本語解釈の前にはどんな史料を提示しても無駄でしょうね。』 (2005/08/26 00:02)


(参考)国際連盟理事会での中華民国代表の演説から、南京に言及した部分。 

さらに、高い軍紀を誇りにしてきた日本兵が占領地で繰り広げる残虐で野蛮な行為は、戦火に打ちひしがれた民衆の艱難辛苦をさらにいっそう増大させ、礼節と人道に衝撃を与えています。あまりにも多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。ただ、その一端を物語るものとして、日本軍の南京占領に続いて起こった恐怖の光景にかんする『ニューヨーク・タイムズ』紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう。このリポートは一二月二〇日付の『ロンドン・タイムズ』紙に掲載されたものであります。特派員は簡潔な言葉で綴っています。「大がかりな略奪、強姦される女性、市民の殺害、住居から追い立てられる中国人、戦争捕虜の大量処刑、連行される壮健な男たち」。

 日本兵が南京と漢ロでおこなった残虐行為についての信頼できるもうひとつの記録は、米国人の教授と外交使節団による報告と手紙にもとづくもので、一九三八年頁一月二十八日の『デイリー・テレグラフ』紙と『モーニング・ポスト』紙に掲載されでいます。南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。
(『ドイツ外交官が見た南京事件』P136〜P139)


論点すり替え。

sanhao_82
> 国際連盟理事会第六会議
「南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。」 → ずいぶん人数が違うな、オイ。(2005/08/26 08:51)

berry
『「国際連盟」のほうも論点ずらしですね。
当初の論点は「訴えの有無」↓

>そんな「大虐殺」が繰り返されたのに、なぜ中華民国政府は国際舞台で訴えなかったんでしょうかね。

さてsanhao_82 さん、訴えはあったのですか、それともなかったと強弁されますか。』 (2005/08/26 19:52)

補足「人数の違い」について。

bluefox014
『> → ずいぶん人数が違うな、オイ。

1938年2月1日の演説ですから、得られた情報は同年1月の時点のものでしょう。1月といえば、まだ侵攻した中支那方面軍が駐留しており、中華民国側に被害調査を行うすべはありません。外国マスコミも居ません。おそらく唯一の情報源である安全区国際委は安全区の中にしか状況を掌握しておりません。そういう制約の中で、既に2万人という見積もりが出されていたということですね。』 (2005/08/28 05:24)