百人斬り裁判続き

昨日「関心がない」と書いてしまったが、判決に関心がなかったという意味です、と言い訳してももう遅いか。(汗)。公判過程はチェックしていました(言い訳)。




でみあんさんのコメントがわかりやすい。
http://d.hatena.ne.jp/demian/20050827/p3

本多勝一さんの会見もさることながら、私が思うに


百人斬りが虚偽の場合:少尉らはウソの作り話を言って回り、それが新聞に取りあげられた→故人は自ら自分の名誉を毀損していることになります。であれば遺族の人たちは故人がウソつきであるとして新聞社に訂正を求めなくてはなりません。


百人斬りが真実の場合:とんでもない戦争犯罪。しかもそれを周囲に吹聴しています。許しがたい行為です。


どちらであってもひどい話なのですが、前者のほうが多くの人が殺されずに済んだ、という意味では救いがあります。今回のような「死者の名誉毀損」の法的な扱いについてはhttp://d.hatena.ne.jp/dempax/20050823#p4で紹介されています。おかげさまでいい勉強になりました。その中で紹介されている産経系の新聞の記事はこうした法的なポイントを全く理解していなくてあきれます。

「前者」について補足すると、
『大阪毎日新聞 鹿児島沖縄版』1938年1月25日付朝刊に、以下のような記事がある。
この記事に基づくと、野田少尉は自分から吹きまくりである。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/oosaka-mainichi.htm

このほど豪快野田部隊長が友人の鹿児島県枕崎町中村碩郎氏あて次のごとき書信を寄せたが、同部隊長が死を鴻毛の軽きにおき大元帥陛下万歳を奉唱して悠々血刃をふるふ壮絶な雄姿そのまヽの痛快さがあふれてをり、〝猛勇野田〟の面目躍如たるものがある――

敵も頑強でなか〜逃げずだから大毎で御承知のように百人斬り競争なんてスポーツ的なことが出来たわけです、小銃とか機関銃なんて子守歌ですね、迫撃砲や地雷といふ奴はジヤズにひとしいです、南京入城まで百五斬つたですが、その後目茶苦茶に斬りまくつて二百五十三人叩き斬つたです、おかげでさすがの波平も無茶苦茶です、百や二百はめんどうだから千人斬をやらうと相手の向井部隊長と約束したです

(大毎とは大阪毎日のことで、東京日日新聞・浅海記者の記事が転載されたということだろう)





ところで実際は、でみあんさんのいう「後者」である可能性も小さくないようだ。
煙さん経由
http://d.hatena.ne.jp/kemu-ri/20050827/1125089638

日本軍兵士・望月五三郎の私家版の手記には、以下のような記述がある。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm

「おい望月あこにいる支那人をつれてこい」命令のままに支那人をひっぱって来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸だしの笑ひをこめて、軍刀をにらみつける。

 一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。首からふき出した血の勢で小石がころころと動いている。目をそむけたい気持も、少尉の手前じっとこらえる。

 戦友の死を目の前で見、幾多の屍を越えてきた私ではあったが、抵抗なき農民を何んの埋由もなく血祭にあげる行為はどうしても納得出来なかった。

 その行為は、支那人を見つければ、向井少尉とうばい合ひする程、エスカレートしてきた。 両少尉は涙を流して助けを求める農民を無残にも切り捨てた。支那兵を戦斗中たたき斬ったのならいざ知らず。この行為を連隊長も大隊長も知っていた筈である。にもかかわらずこれを黙認した。そしてこの百人斬りは続行されたのである。

この手記が事実だとすると、真相は捕虜・農民殺害だったということになる。
南京戦で、侵攻途中で日本軍が何を行ったかにつういては、憲兵隊の上砂少将の回想記も参照。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050713