3月の時点で南京は悪臭たちこめていた

# sanhao_82
『私が知りたいことは、死体処理をどうやったのか、ということだけですから。それが、最もわかりやすい南京事件への回答だと思ってますので。』

# bluefox014
『>質問1
>もし数10万人規模の虐殺が行われていたとすると、総面積にして甲子園球場の数倍の広さの面積を深さ2mにわたって掘り返した跡が見つかるはずですが、そういうものは見つかっていますでしょうか? あるいは死体処理には別の方法を用いたのでしょうか?

見つかっているのか見つかっていないのか、私は知りません。日本語に翻訳されていない中国語の文献は読んでいませんので。
なお、死体処理は地面を掘り返して埋めただけではなく、池に放りこむ、玄武湖に放り込む、クリークに放り込む、揚子江(南京付近では幅4キロだそうです)に遺棄する、焼却して後に遺棄する等が考えられますし、埋葬に関しても遺族が個別に埋葬した例もあるでしょう。
さらに、当初は土をかけただけの処理もあったようです。
事件発生から3ヶ月後、崇善堂埋葬隊長周一漁は南京自治委員会に宛てた書簡にて以下のように述べています。

「1938年2月6日 (略)幣堂が埋葬隊を成立させてから今まで一ヶ月近くたち、作業割当ては大変頻繁であります。しかし車両が大変不足しております。そのうえ今や春となり、気温が上昇してきております。残っている遺体を迅速に埋葬しなければ、おそらく遺体が地面に露出し、関係する公共衛生はまことに少なくないと存じます。」


盛文治という民間人は「南京市自治委員会救済組」にあてた要請書にて以下のように述べています。

「私はこのたび郊外から(南京)城内にやって来ましたが、3月になるというのに途中の馬家店・大定坊・鉄心橋は左右両側、人の死体と馬の骨が野に遍(あまね)しという有様でした。
ある者は小高いところで仰向けになって目を見開き口を開け、ある者は田のあぜに伏せて肉と骨をさらしており、屍は鷹や犬の餌になっています。
完全なものは少なく、足や腕がなかったり、頭がとれていたりで、たとえ五体満足なものでも、黒褐色を呈し腐乱しはじめています。そのうえ悪臭が鼻をついて人をむかつかせ、伝染病を避けるため、現地の人はみな鼻をおさえて歩いています。
まだ日差しも弱く高くありませんが、もし炎熱多湿の気候になったらと思うと、想像もできません。」

# bluefox014
『先の議論を見る限り、sanhao_82さんは南京軍事法廷の主張の、最も基本的内容といえる「空間範囲」すら知らなかったようです。
それから、

>それよりもはるかに狭い地域で40万人が短期間に虐殺されたら、何よりも異臭・腐臭で大変なことになってるはずです。そういう死体の「臭い」について記述した証言を私は聞いたことがないんですが。

これについても、上で私が紹介した証言では「悪臭」について言及されていますが、要はsanhao_82さんが知らなかった、というだけのことのようですね。

2番目の質問は、1番目の質問にケリがついてからにしましょう。』