野良猫さんの「慰安婦に甘えようとしたとしても‥?」発言2

慰安所とは

昨日取り上げた野良猫さんの発言だが、正直どうコメントしたらいいのかわからない気持ちもあり、またコメントなどする必要のない発言なのかもしれないが、思いつくことを漸次述べる。
(午前1時半現在 中途にてUP。追補の可能性あり)





野良猫さんの発言をもう一度再録。

そして、現在と当時の状況が違うことも忘れてはいけません。基本的に男はあさましく悲しい生き物であり、明日死ぬかもしれない状況下のなかでほんの一時、慰安婦に甘えようとしたとしてもそれを責められるものでしょうか……?

要は免責されるべき、という問いかけのようだ。しかし私には、問いかけの前提部分にフィクションを感じてしまう。
個人的には、「免責」という結論を引き出すために、フィクションを援用している不毛な問いかけにしか見えない。




  • 慰安所は「甘える」ために作られた場所か?

最初の疑問。野良猫さん自身は軍慰安所の利用者ではなく、推測で語ってわけだが、果たして慰安所とは、慰安婦に甘える場所だったのだろうか。




当たり前の話だが、慰安所は兵士たちが自主的にお金を出し合って(生協のように)設立したわけではない。軍の司令部の判断で、軍がコストを投入して設置されたものである。
そして、軍司令部は兵士に「甘える対象」をあてがってあげようとして慰安所を設置したわけではないようだ。軍の上層部にとって軍慰安所は、兵士たちの強姦事件の多発をくい止めるための措置だった。

慰安所制度を導入した岡村寧次・第十一軍司令官(南京侵攻作戦の次の武漢作戦を率いる)は以下のように回想する。

私は華中、華北の戦場で、日本兵が昔日の神兵ではなく、掠奪、強姦、放火等の非行が少くないことを知り痛嘆した。このことは第四篇において数多くの実例を掲げて詳述するつもりであるから、ここには記述を省略するが、ただ次の一事だけを特記する。

 私は華北、華中の前線を頻繁に巡視して、その地方の治安良否(日本兵の風紀をも含め)の程度を中国娘の眼に見える関係で三とおりあることを総合的に発見した。

第一、絶対に娘の影を見ない。
 日本兵を恐れている証左で、「治安不良」
第二、私どもの自動車、トラック通行を物珍しげに遠く家の窓から眺めている。「治安稍良」
第三、前項の場合、自家の門前に出て眺めている。日本兵の往来する街頭を中国娘が平気で歩いている。「治安良好」

(「岡村寧次大将資料」(上) P280)

上海に上陸して、一、二日の間に、このことに関して先遣の宮崎周一参謀、中支派遣軍特務部長原田少将、抗州特務機関長萩原中佐等から聴取したところを総合すれば次のとおりであった。

一、南京攻略時、数万の市民に対する掠奪強姦等の大暴行があったことは事実である。
一、第一線部隊は給養困難を名として俘虜を殺してしまう弊がある。
 註 後には荷物運搬のため俘虜を同行せしめる弊も生じた。 (略)

七月十五日正午、私は南京においてこの日から第十一軍司令官として指揮を執ることとなり、同十七日から第一線部隊巡視の途に上り、十八日潜山に在る第六師団司令部を訪れた。着任日浅いが公正の士である同師団長稲葉中将は云う。わが師団将兵は戦闘第一主義に徹し豪勇絶倫なるも掠奪強姦などの非行を軽視する、団結心強いが排他心も強く、配営部隊に対し配慮が薄いと云う。

私の第十一軍司令官時代強姦の非行が多くそれについていろいろ配慮したことは第四篇において詳述するとおりであるが、私は当時の陸軍刑法において強姦に普通刑法親告罪であることも、また根本的に間違いであると考え、昭和十五年二月内地に帰還したとき阿南陸軍次官に対しこれを改め戦地強姦罪を設くべき旨申言したところ、正義の士である阿南次官は即座に同意し改正すべき旨を断言した。それから二年を経過して昭和十七年漸く戦地強姦罪が制定されたのであった。(略)

これら若い兵隊が軍法会議で陳述した内容が共通していたことは、家郷を出発する送別宴の席上などで、既に戦地の務めを終えて帰郷した先輩から、中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていたので、ついムラムラとその気が起きたということで、最初中国戦線に出動した予後備兵が、昔事の出征兵と比べて、如何に風紀観念に乏しくなっていたかを知ることができたのである。
(「岡村寧次大将資料」(上) P282〜P283)

岡村司令官の発言に基づく限り、軍上層部にとっては兵士は潜在的に強姦犯予備軍であり、強姦罪予防のためにコストを投入して慰安所なるものを設置する必要があったわけだ。

  • 「昔という状況」一般ではなく、日中戦争・太平洋戦争当時という状況

第二の疑問。
野良猫さんは「現在と当時の状況が違うことも忘れてはいけません。」と述べているが、そもそもそういう二分法は成立するのだろうか。
岡村大将の回想を見る限り、状況は「今」と「昔」という2つに分けられるわけでもない。日清戦争時の「昔」と、日中戦争時の「昔」は明らかに同じ状況ではない。
慰安所とは「昔という状況」一般の出来事ではなく、日中戦争・太平洋戦争当時という状況の出来事であり、日清戦争時には存在しなかった出来事であることには留意する必要がある。