あの、1937年の日本には、報道検閲があったのですが(4)

昨日のコメント欄から。

# この記事自体が 『「当時検閲があったといえども、仮に大虐殺とされるものがあったのなら「書かれ、発禁になった」形跡が何かしら残るはず。では、当時国内外で「大虐殺」レベルの告発が一切なされず発禁を受けた記事も存在しないのは何故か」という問いへの答えになっているような。
 答えは「いわゆる「日本軍による大虐殺」と定義しうる程の規模・組織性を持った暴虐行為(として国内外のメディアが記事にできるもの)はなかった」と見るのが適当ではないか。
 それとも、当時アメリカ誌を賑わした「米砲艦パネー号撃沈事件」や「アリソン総領事殴打事件」は検閲を乗り越えて?報道されたのに、「数万人規模の組織的虐殺」だけがピンポイントで完璧に「検閲」され、現在に記録ひとつ残っていないというのだろうか?(それにしては「少なくない処刑やいくつかの強姦、等」は多少報道されている)
 山崎氏とやらの返事を待つ以前に、答えは(まさにこのエントリーが示す、「発禁記事であっても後に残る」という事実によって)すでに出ているように思える。

# yamawaki 『自主規制という要素を無視した暴論ですね。』

# nankin-jiken 『新聞記者の多くが自主規制するのはわからなくはないが、作家や評論家まで、そろって自主規制するものだろうか。ましてや、戦後になってからも…。戦後の総転向の時代になっても自主規制する…するなんて話を、誰が信じるだろうか。』

そうですか、「新聞記者の多くが自主規制するのはわからなくはない」のですね。
その上でいくつか。

第1に、田中正明が提示した8名の作家や評論家は新聞社や出版社の媒体を通じて従軍記を発表しています。仮に作家や評論家の考えがどうであれ、新聞社や出版社が発禁を恐れて自主規制する意向があれば、作家や評論家も自主規制せざるをえませんね。
もっともnankin-jikenさんの認識では、作家や評論家が自費出版で従軍記を刊行した、ということかもしれませんが。田中が提示した8名のうち、自費出版で刊行された作品があったら教えていただけませんか?

第2に、戦争協力した言論人の中には、戦後、貝のように口をつぐんだ人が少なくないはずです。戦争協力責任という問題がありますから。
そういう人は戦後、「南京」体験の一切を語らないわけですから、当然実際の見聞体験が語られることはありません。
8名のうち、戦後「南京」体験を語った人はどの方ですか?