大宅壮一「私も目撃者として十分いえるね」
前日の
8名のうち、戦後「南京」体験を語った人はどの方ですか?
の続き。
# カッツン 『大宅はサンデー毎日で「まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね」と述べている。 (2005/07/21 03:02)
これですね。
http://www.geocities.jp/yu77799/ootaku.html
私はね、あそこまで先陣争い―各兵団が門を目ざし、ちょうどスゴロクの”上がり”みたいにね、だれが上がるか、同時に南京を占領することは大陸の戦争が終わることだというような考え方が強かったですね。兵隊の士気大いに上がり、猛烈な勢いで南京へと進んできた。私は毎日新聞の準特派員というか、毎日新聞の旗についてきたんだが、私たちの属していた兵団がね、中山門にはいって惜しくも二着になったのかな。光華門にはいったのが第一着で、これが最初の”万歳”を唱えた。しかし、入城前後、入城までの過程において相当の大虐殺があったことは事実だと思う。三十万とか、建物の三分の一とか、数字はちょっと信用できないけどね。まあ相当の大規模の虐殺があったということは、私も目撃者として十分いえるね。
これに対し、軍事評論家・佐藤守さんの発言。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050714/1121302741#c
「南京攻略当時,南京に入城したのは約120人の新聞記者やカメラマンだけでなく,大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀市,西条八十,草野心平,林芙美子,石川達三などの高名な評論家,詩人,作家も,陥落と殆ど同時に南京に入城しており,その外にも,13年の春から夏にかけて,南京を訪れた有名人は多勢いた」と,評論家・田中正明氏は書いている.
従軍記者やカメラマンは,部隊と行動を共にし、戦況を報道するのが使命である.いわゆる『百人斬り』報道も,戦意高揚の為の「創作」であった事は当時のカメラマンの証言でほぼ明らかになっているが,これらの人々の目に入らなかった、というのがどうしても私には納得できないのである.
当ブログのコメント欄、nankin-jikenさんの発言。
nankin-jiken
批判力旺盛な口八丁、手八丁と言われた大宅壮一でさえ、南京虐殺には 終始否定的であった。(2005/07/19 07:45)
いわゆる一つの「都市伝説」というやつかな。それとも単刀直入に「デマ」と言ったほうがいいのか。