あの、1937年の日本には、報道検閲があったのですが
軍事評論家=佐藤守のブログ日記の続き。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050714
軍事評論家・佐藤守さん。
この『事件?』は,日中戦争たけなわの時には,些かも報道される事なく,戦後,東京裁判で持ち出されて問題になったものである.南京城攻防戦は,筆舌に尽くしがたい激戦であった事は体験者の殆どが認めているが、なぜ昭和12年12月,戦闘終了直後,又はそれ以後にこの『事件』が報道されなかったのか?
「南京攻略当時,南京に入城したのは約120人の新聞記者やカメラマンだけでなく,大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀市,西条八十,草野心平,林芙美子,石川達三などの高名な評論家,詩人,作家も,陥落と殆ど同時に南京に入城しており,その外にも,13年の春から夏にかけて,南京を訪れた有名人は多勢いた」と,評論家・田中正明氏は書いている.
従軍記者やカメラマンは,部隊と行動を共にし、戦況を報道するのが使命である.いわゆる『百人斬り』報道も,戦意高揚の為の「創作」であった事は当時のカメラマンの証言でほぼ明らかになっているが,これらの人々の目に入らなかった、というのがどうしても私には納得できないのである.
文芸評論家・哲学者の山崎行太郎さん。
彼らが、ほとんど、それらしいことを「書かなかった…」という意味は大きいですね。書くべき「事件そのもの」(?)がなかったのでしょうね
bluefox014の質問。
文芸評論家でおられる山崎さんはおそらくご存じだと思いますが、当時の日本には報道管制がありました。具体的には「新聞紙法」第二七条により、陸軍関係記事は事前にゲラ2部を警視庁及び各府県警察部に提出し、許可を得たもの以外は掲載を禁止されていました。
にもかかわらず、山崎さんは「「書かなかった…」という意味は大きい」「書くべき「事件そのもの」(?)がなかったのでしょうね」という認識なのですか?
なんだか、コメントする気力がなくなってきた。