佐藤守さんは何か深い思慮で「トリミング」を行ったのだろうか

昨日に引き続き「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」とそれに対する拙コメントを紹介。の13日付エントリ「南京事件について(その5)」
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050713/1121108634

当時の米国副領事が、1938年1月に国務長官宛に次のような「南京における状況」報告をしているが、その抜粋を書いておこう。

南京米大使館・作成者  米副領事 ジェームス・エスビー
       確認者  3等書記官 ジョン・エム・アリソン
       作成日付  1月15〜24日
       郵送日付  1938年2月2日

1, 12月10日以降南京に発生したる事項の概略

シナ軍は市の城壁の外側の市に属する大なる部分を焼き居れり。これは軍事上の目的よりその土地の邪魔者を除去せるなり。然れども残留せる在留米国人は、退却中のシナ兵による城壁内にて行われたる財産の放火破壊および略奪は僅少なりと主張しおれり。故に日本軍は入城と共に南京が実際に荒らされおらざるを発見せり。市民の残りの大部分は南京国際委員会の計画設定せるいわゆる「安全地帯」に避難しおり、相当数のシナ兵を巧みに補足する筈なりしが比較的少数なりしなり。実際に残留せるシナ兵の数は不明なれども数千の者はその軍服を脱ぎ捨てて常民の服を着て常民に混ざり市内のどこか都合よき処に隠れたるに相違なきなり。(中略)

しかしながら、ここに一言し置かざるべからざるは、支那兵自身は日本軍入城前に全然略奪をなさざりし訳にはあらず。少なくもある程度には行ないおれるなり。

最後の数日間は疑いなく彼らにより人及び財産に対する暴行犯されたるなり。支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には、種々の事件を生じその中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いしなるべし。彼らの無秩序の時のことなり。

退却する軍人および常民にても、時と場所とにては計画的ならず略奪を為せしことは明らかなり。全ての公の施設の機能停止による市役所の完全なる逼賽と、支那人政府と大部分の支那住民の退却とにより市に発生したる完全なる混乱と無秩序とは、市を如何なる不法行為をも行い得らるる場所となし了れるなり。

これがために残留せる住民には日本人来たれば待望の秩序と統制との回復あるべしとの意味にて日本人を歓迎する気分さえもありたることは想像せらるる所なり」

口語体のしかも翻訳文なので、多少読みづらいところがあるが、米国人が当時の状況をどう捉えていたか、又「便意兵」がいたことを証言する貴重な記録であろう。


佐藤守さんの認識では、エスピー報告は「貴重な記録」なのだそうだ。
でも佐藤さん、その直後の文をカットしましたね。

コメント欄に、その続きを紹介しておく。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050713/1121108634#c

bluefox014 『>エスピー報告
せっかくだから、現代語訳を紹介しましょうか。

「しかしながら、ここで触れておかなければならないのは、中国兵自身も略奪とは無縁ではなかったことである。彼らは少なくともある程度まで、略奪に責任を負っている。日本軍入城の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った。この時期、退却中の兵士や市民までもが、散発的な略奪を働いたのは確かなようである。姿勢府の完全な瓦解は、公共施設やサービス機能をストップさせ、国民政府および大多数の市民の退却は、市を無法行為に委ねることになり、混乱を招いたようだ。このため、残った市民には、日本軍による秩序の回復を期待する気持ちを起こさせることになった。」

若干ニュアンスが異なるようですが、それは大きな問題ではないとみなします。
大きな問題は別のところにあります。この文の直後には、次のような文が続くのです。

「しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖政治が開始されることになった。十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた。」

軍事評論家・岡崎研究所特別研究員の佐藤さんは上記の箇所を引用されませんでした。
そして、同報告書には以下のような記述も見られます。

「日本軍の分遣隊による便衣兵狩りや処刑の他に、日本兵は二,三人ないしはそれ以上に徒党を組み、市内を傍若無人に徘徊した。これらの兵士は極悪非道な殺害、強姦、略奪をして、市を恐怖のどん底に陥れた。」

「しかし、われわれの聞いたところによると、日本軍指揮官より、兵士を統制下におくよう少なくとも二回の命令が出され、また、入城前、いかなる財産にも放火しないよう、厳命が出されていた。
 それにもかかわらず、大勢の兵士が市内に群がり、筆舌に尽くしがたい凶行を犯したことは事実である。」

日本兵は土地の女性を捜しだしては、暴行を加えたことが報告されている。このような事件に関する報告書をここに添付している。日本軍の占領当初、こうした事件は一晩に千件からが数えられ、あるアメリカ人が数えたところ、アメリカ人所有の建物で、一夜に三〇件の強姦があったことが認められた。」

まだありますが、ここまでとします。
南京アメリカ大使館通信 エスピー報告 「南京事件資料集・アメリカ関係資料編」 南京事件調査研究会・編訳 青木書店)

軍事評論家・岡崎研究所特別研究員の佐藤さんが引用されたエスピー報告書には、このような記述があることをお伝えします。』 (2005/07/13 20:27)

小林よしのりが「戦争論」で
「しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖政治が開始されることになった。十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた。」
の部分をトリミングして「エスピー報告」を紹介して以来、喜々として同報告を紹介する人は後を絶たないのだが、軍事評論家・岡崎研究所特別研究員の佐藤さんのことだから、何か深い思慮・意図があったのだろう。