その土地に住む者には山賊・盗賊にしか見えないが?

「軍事評論家=佐藤守のブログ日記」の佐藤守氏は、プロフィール欄によると「防衛大航空工学科卒(第7期)。航空自衛隊に入隊。戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間)。外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、南西航空混成団司令(沖縄)。平成9年退官。軍事評論家。岡崎研究所特別研究員.チャンネル桜」コメンテータ。平河総研・専務理事」という経歴の方だが、先日から「南京事件について」というエントリを出されている。

2005-07-09 南京事件について
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050709/1120961576

中国外務省の劉建超報道官は、『抗日戦争勝利60周年記念行事を通じて,不正確な歴史認識の国家や人々が,正しい認識や責任ある態度を持つようになる事を望む』と述べたそうだが,この言葉は,まさに中国に当てはまる言葉で,そっくりお返ししたい.やはり北京オリンピックという,国外宣伝の好機を捕らえて,大キャンペーンを張るつもりだった事が良く分かった.

折角だから,史料から,これら日本軍の残虐性を否定する文献を挙げて,反論しておこう.

これから参考にする資料は,『東京裁判却下・未提出弁護側資料』であるが、長くなるのでまず最初に,当時,上海派遣軍司令官であった松井石根大将が発した,『日本軍外征の大義』と題する声明文を掲げておきたい。

この声明文は,最高司令官の意図を明確に示しているものであり,これに違反する事は軍律に背くことになる.漢文調の名文だから,一般兵士にまで理解できるか否かは疑問があるが,当時の兵は皆教養があった.ましてや将校は充分に理解していたから、この趣旨に則って指導した.

只,戦闘は,シナ兵の総退却が始まるや,進撃速度が一機に増加し,弾薬は勿論,食料の補給が遅れる事態になった.やむを得ず部隊は現地調達をするのだが,それを『略奪』したと宣伝される.

几帳面な我が軍は,このような行為は認めていない.軍律違反として厳しく取り締まっている.特に松井大将は、軍人というよりも「宗教家」とも言うべき境地にあった方であり,その後熱海伊豆山に、日中の戦没兵士を祭った『興亜観音』を建立し,日中・アジアの永久の平和を祈願しているから,現代政治家達が口走る偽善に満ちた『日中友好』の掛け声とは天地ほどの開きがある.勿論,現代中国政府が言う台詞は,松井大将の精神には程遠く,無知と傲慢に溢れている。

従って、戦況の急変によって,一部の兵士が,空家になった民家に入り,食料などを調達した行為を報告され,極めて残念に感じていた大将が『皇軍の皇威を傷つけた』といたく悲しんだ事は,各種記録にある.しかし,この逸脱行為を諌めた松井大将の発言が,残虐非道で組織的な『南京大虐殺』を認めた発言だとは到底思われない.


その内容に違和感を感じたので、コメント欄に質問をした。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050710/1121002714#c

なお、一部太字にて強調した。

>折角だから,史料から,これら日本軍の残虐性を否定する文献を挙げて,反論しておこう

という趣旨のエントリ、興味深く読ませていただきました。
さて、ひとつ確認させていただきたいのですが、

>この声明文は,最高司令官の意図を明確に示しているものであり,これに違反する事は軍律に背くことになる.漢文調の名文だから,一般兵士にまで理解できるか否かは疑問があるが,当時の兵は皆教養があった.ましてや将校は充分に理解していたから、この趣旨に則って指導した.
>只,戦闘は,シナ兵の総退却が始まるや,進撃速度が一機に増加し,弾薬は勿論,食料の補給が遅れる事態になった.やむを得ず部隊は現地調達をするのだが,それを『略奪』したと宣伝される.
>几帳面な我が軍は,このような行為は認めていない.軍律違反として厳しく取り締まっている.

引用された松井大将の声明文を「日本軍の残虐性を否定する文献」として紹介しておられるのでしょうか。

といいますのは、南京侵攻時に第十軍の憲兵として従軍された上砂勝七・元陸軍少将が「憲兵三十一年」という著書の中で、侵攻時の実際の状況について語っておられます。当時の現役憲兵の発言でもあり、佐藤さんは上砂氏の発言を当然ご存じのことと思いますが、一応その一部を紹介しますと

「第一線部隊の携行糧秣は瞬く間に無くなり、補給は続かず、全く「糧食を敵による」戦法に出なけれはならない有様であって、勢い徴発によったのである。然しこの徴発たるや、徴発令に基く正当な徴発は、現地官民共に四散しているため実行不可能で、自然無断徴用の形となり、色々の弊害を伴った」
「この情勢を見ていた軍経理部長は、「こんな無茶な作戦計画があるものか、こんな計画では到底経理部長としては補給担当の責任は持てないから、離任して内地へ帰えらして貰う」といきりたった程で‥」
「右の如く軍の前進に伴い、いろいろの事件も増えて来るので、この取締りには容易ならない苦心をしたが、何分数個師団二十万の大軍に配属された憲兵の数僅かに百名足らずでは、如何とも方法が無い」
「戦域が逐次拡大し、作戦兵力の増大に伴って、その要員の多数が教育不十分な新募又は召集の将兵を以って充たされるようになると、思いがけぬ非行が益々無雑作に行われるようになる。これには、指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた」
皇軍々々と叫ばれていたが、これでは皇軍が聞いてあきれる状態であったので、憲兵は山地を占領する都度、その都市村落の入口や要所に露骨な字句や、故に逆用される虞れある文句を避けて、婉曲に日本兵に告ぐと題し、火災予防、盗難排除、住民愛護の三項を大きく書いて掲示した」

という記述があります(なお、拙ブログhttp://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050430によりまとまった引用があります)

このように上砂氏は著述されているのですが、それでも佐藤さんの認識では「松井大将の声明」を以て「日本軍の残虐性は否定される」とお考えなのでしょうか。
上砂発言の存在にもかかわらず、松井声明のもと「日本軍の風紀」は良好で、「軍規違反は厳しく取り締まられ」「日本軍の残虐性は否定される」と認識されておられるのでしょうか。上砂発言の存在にもかかわらず、そう認識されている(としたら)その根拠はどこに求めておられるのでしょうか。

軍事評論家であり、岡崎研究所特別研究員の佐藤さんのことですから、この点に関しても明快な根拠をもって発言しておられると存じます。その根拠をご教示願えれば幸いです。』


この質問に対する直接の返答ではないが、佐藤さんの12日付けエントリに、私のコメントに呼応したと思われる発言があった。
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20050712/1121108634

おかしい事に,南京虐殺事件というと,我が国民の間には,既に『既成の事実』だと決めつけた上で議論し,『30万人か,2万人か?』などと数勘定に陥り,まことしやかに意見を述べる学者が目立つが,戦場における『狂気』や,同僚を失った兵たちの悲しみ,苦しみなどという『復讐心』が戦場を支配する事については一顧だにされない事が多すぎる.

問題は、国家、あるいは軍隊という組織が、明瞭な組織活動として起こした事件であったのか,それとも戦場という特殊な環境下における,例えば記事にあるように,焦土と化した戦場を弾薬や食料の補給が追いつかないまま計画外の速度で南京に進軍する我が兵たちが,南京に到達すれば食料にありつける!と頑張った挙句,それが達成されなかった時の落胆と混乱を,同胞として考慮してみる事が大切ではないのか?

そのような悪条件を部下に強いた上級司令部の責任は極めて大きいが,そんな中にあっても規律を守ろうとした我が将兵の心中に思いを寄せるのが彼らを送り出した日本国民の思いであるべきではないのか?と私は思うのである.

一部の兵士達,あるいは小グループで,食料調達のために行った窃盗や,夏服のまま送り出された将兵が,寒さに耐えかねて『民家』から衣類を奪った行為を,憲兵隊が取り締まろうと行動していた事の方に注目すべきであろう.記事を読めば当時の南京城周辺での惨憺たる状況が理解できると思う.強調しておきたい事は,中国の南京軍司令部が厳命して行った,自国兵士を敵の手中に放り出すような組織的暴行ではなく,いわゆる『南京事件』は,少なくとも日本軍命令,政府指導で行われた『事件』ではなかったと考えられる事である.

先のエントリの時点では、論点は「日本軍の残虐性は否定される」か否かだと思われるのだが、ここでは「日本軍命令,政府指導で行われた事件だったか否か」に論点がシフトしている。
これは異なる論点であることには留意したい。日本軍命令,政府指導がなくても、日本軍の残虐性は否定できない、という場合もありうる。

その点に留意しつつ、上の発言にコメントを送った。

>焦土と化した戦場を弾薬や食料の補給が追いつかないまま計画外の速度で南京に進軍する我が兵たちが


食糧を持たずに侵入してきて、食糧を「無断徴用」していく他国の軍隊、それはその土地に住む人間にとっては山賊とか盗賊にしか見えないでしょうね。

>そのような悪条件を部下に強いた上級司令部の責任は極めて大きいが,そんな中にあっても規律を守ろうとした我が将兵の心中に思いを寄せるのが彼らを送り出した日本国民の思いであるべきではないのか?と私は思うのである.


規律を守らない兵士が多かったからこそ、上砂少将は「指揮統率者の責任は固よりのことだが、わが国民の一般的教養の如何に低いかを痛感させられた」と詠嘆されたのではないでしょうか。

>一部の兵士達,あるいは小グループで,食料調達のために行った窃盗や,夏服のまま送り出された将兵が,寒さに耐えかねて『民家』から衣類を奪った行為を,憲兵隊が取り締まろうと行動していた事の方に注目すべきであろう.


それは憲兵の任務からみて当り前の行為であり、特筆に値するとは思えません。
むしろ「数個師団二十万の大軍に憲兵の数僅かに百名足らず」しか配置しなかったという上級司令部の措置こそが驚きであり、「如何とも方法が無い」という上砂少将の嘆きにこそ注目すべきだと思います。

ところで、佐藤さんは「悪条件を部下に強いた上級司令部の責任は極めて大きい」とお考えなのですね。この点、私も同感するところです。
食糧も携えずに進軍させたり、一部の兵士に夏服しか与えずに行軍させれば、兵士が生き延びるために「食料調達のため窃盗」や「民家』から衣類を奪う」など山賊・盗賊の行いに至ることは、事前に予想しうる事柄です。ましてや憲兵の配属をわずか100名では、真面目に抑止する気があったのかも疑わしくなります。
それを知りつつ、自軍をそのような山賊・盗賊のような状態にして「野に放った」上級司令部の人間は大きい。彼らは「山賊・盗賊集団の長」になる道を「自ら選んだ、と思わざるを得ません。

佐藤様、10日エントリでの質問、同日コメント欄にご返答いただけると幸いです。』 (2005/07/12 17:01)

なお、上砂少将の著述には「小グループで」という記述はなかったと思う。