「皇国」の国歌としての君が代(下書き)

「惰性的継承」と書いたが、では何が惰性的に継承されたのか。
昨日まで「大日本帝国の旗と歌」と私は書いていた。
それでは見えてこない問題があることに気づいた。

あえて言ってしまおう。
君が代は、「皇国」の歌である。皇国のテーマソングである。

ヒントはnoharraさんの発言にあった。

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050313

たてまえとしての反戦平和主義を隠れ蓑にして、「戦争がいけなかった」として8/15までの大小の権力の責任を詳細に検討していく営為をネグレクトしてきました、戦後日本は。「15年戦争ともいわれる戦争のすべてが悪だった」という史観を仮に否定するとすれば、次にどう考えるのか。

 普通に考えれば、もはやどんな反撃もできなくなっていた3/10東京大空襲の時点で戦争は止めるべきだった。そうしなかった責任を日本人は追及確認してこなかった。そして、自衛隊海外派遣の後もそうした歯止め抜きでナルシズムにふけりたいひとの方が多いみたいですね。


なぜ止めなかったか。「皇国」だったからだ。皇国としての国体を保てるなら、国民がどれだけ死んでも、

東京大空襲の後も、戦争を止めなかった大日本帝国
3月10日にあれだなりけの国民を殺されて、それでも8月15日まで戦争を止めなかった大日本帝国

この2つの事柄は、なんの矛盾もない。
皇国だったゆえに、あれだけの国民が死んでも、戦争を止めようとしない。天皇の地位保全への確約が得られるまで、戦争を止めようとしない。そうこうしているうちに、5月の東京大空襲で国民が殺され、広島・長崎で膨大な数の国民が殺された。
天皇の地位について一定の確約が得られて、やっと終戦を受け容れた。




戦争をずるずる延ばした責任をあやふやにしてしまうことと、皇国の歌を惰性的に継承してしまうこと。
この2つは、同じメンタリティから出てきているのではないか。
これ、

(午後2時時点作文中。一部改稿の可能性あり)

午後10時 読み直すとかなり荒っぽい書き方ですね。
全面的に書き直そうと思いますが、本エントリーは残しておきます。