南京侵攻と「300キロ内陸」

前日の続き。並行してなされた議論。
白河さんから質問を受ける。

十条氏にも伺ったことですが、あなたが

>300キロ内陸に攻め込む必要のある「自衛戦争」などありえません。

とお書きになっている以上、300キロという「距離」を自衛の基準として使っているわけですよね。
だとしたら、あなたには、自衛として考えられる距離と、自衛としてはあり得ない距離があるわけですよね。
その境界線について教えて下さいと言っているのですが、そんなにおかしいことですか?
もう一度書いておきます。自衛になる/ならないの境界線(何キロなのか)についてご説明下さい。

どうやら白河さんは「南京戦は自衛戦争ではない」ではなく「300キロ内陸侵攻は自衛戦争でない」に反応したのか。

私は300キロという数字を自衛権行使からの「逸脱」程度の度合いとして用いただけである。
自衛性がないと判断する根拠は「支那庸懲」という南京戦のスローガンそのもの、南京侵攻を唱えた武藤章らの主張そのものに見いださせると思うのだが、白河さんは300キロ→自衛でないというロジックそのものが容認できなかったようだ。

返答する。

私の考えでは、他国と地続きではない島国の日本が、1930年代に華中地域に上陸して戦争した場合、そこに「自衛」的理由を見出すのは限りなく困難だと思います。ましてや、沿岸の都市ではなく300キロ内陸に侵攻した場合、自衛的性格は皆無だと思います。

理由。日本と華中沿岸は数百キロ海で隔てられている。加えて30年代当時、日本が中華民国に侵攻される脅威は存在せず、華中地域に日本を侵攻するような他国が駐留していたわけでもない。さらには、華中地域は他国との緩衝地帯でもない。つまり脅威でも緩衝地でもないのだから、この地の沿岸に侵攻し占領する自衛的意味などまず存在しえない。さらに300キロ離れた内陸部への侵攻に至っては、自衛という意味は「ゼロ」。

だから、300キロ内陸の南京への侵攻は自衛的意味はなしと述べたまでです。
私は日中戦争というコンテクストの中で、つまり海で何百キロも隔てられた2国家間の戦争というコンテクストを前提にして、海岸から「300キロ離れた」南京への「自衛戦」などありえないと述べただけのことです。

もし、あなたの質問が日中戦争支那事変)というコンテクストをはなれ、1930年代というコンテクストを離れて、単に「300キロ」という言葉にのみ呼応して発せられたのならば、そんな一般論には私は答えられない。

これに対する白河さんのコメント。

 結局、12日のコメントを読んでも、距離と自衛の関係はわからずじまいですね。要するに日中戦争のコンテクスト次第ですか。だったら距離など出して主張しなければいいのに。

コンテクスト次第とは書いていない。「コンテクストの中」では「と書いているのだが…?
気になるのは、白河さんは日中戦争のコンテクストの「中」に入って議論しようとせず、戦争一般という土俵の上で議論しようといていることだ。日中の歴史問題に言及したのはもともと白河さんの側であるにもかかわらず。
「要するに日中戦争のコンテクスト次第ですか」という言葉には、そのコンテクストの外側で白黒を付けるべきだ、という意志が読みとれる。