「ハーグ陸戦条規」の曲解で成立する「解釈否定論」

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20110103/p1#cでの(青狐ほかの)議論の整理。

私の理解では、tdamさんの主張は、基本的には以下の2つで構成されている。*1
(1)中国兵は軍服を脱いで市街に逃亡/潜伏した時点でハーグ陸戦条規違反である
(2)違反した兵士の無裁判処刑は、合法/不法の双方の見解があり、不法殺害だと断定できるものではない。
しかし、上記(1)は奇妙な論である。というのも、ハーグ陸戦条規にはそのような条文は存在しないからだ。


この奇妙な論を成立させているのは、tdamさんの独特な「ハーグ」第1条解釈である。
tdamさんは以下のような「解釈」を述べる。

tdam
もちろん、文字通りは、"民兵義勇兵団"についての"左ノ条件"(第1項から第4項)を満たせば"交戦者ノ資格"・"権利義務"を有するものとみなす、という規定であることは分かっています。

しかしながら、"戦争ノ法規及権利義務ハ、単ニ之ヲ軍ニ適用スルノミナラス"という部分の文脈(とくに"権利"と"義務"の両方に言及していること)を考えると、「正規"軍"は当然"左ノ条件"を満たす義務と、その対価としての、捕虜として扱われる権利がある」ということも言外に含んでいるものと解釈できます。


どうみてもこれは、奇妙な法解釈である。
既にid:sutehunさんが適切なコメントを述べている。

sutehun
もしもこの規定が正規軍に関係するものであるならば、『正規軍とはこういった要件を満たすものであって、この要件を満たす他の交戦者についても、戦争の放棄・権利・義務が適用される』という内容であるはずです。


さらに、id:dondoko9876さんが丁寧なコメントをされているので、全文転載する。

dondoko9876
交戦資格とは、捕虜となる特権をもつことと同義です。
捕虜となる特権は、軍人については無条件です。軍服を着ていることなどの条件は付されておりません。
以下に示すとおり、それらの条件は民兵及び義勇兵に適用される規則です。

ハーグ陸戦協定 第一章
第一条(民兵及び義勇兵団)
 戦争の法規及び権利義務は、単にこれを軍に適用するばかりではなく、つぎの要件を備えた民兵及び義勇兵団にもこれを適用する。
 (1)指揮官の存在すること
 (2)遠方より認識できる特別の徴証を有すること
 (3)公然と武器を継体すること
 (4)その行為につき、戦争の法規慣例を遵守すること
 民兵または義勇兵団を以て軍の全部または一部を組織する国については、これを軍の名の下に含む。

 なぜ軍人は無条件に捕虜となる特権が与えられているかと言えば、軍人は組織されており、制服を着用しており、公然と武器を携帯しているのが常態だからです。
 それでは軍服を脱いだ軍人や本隊からはぐれてしまったような軍人はどう扱われるのかと言えば、敵対行為を執らない限りにおいて、特に定めはありませんので、やはり軍人としての扱いを受けます。
 軍人が私服を着て敵対行為をとることは背信行為として禁止されていますが、武器を捨て、敵対行為に及ばなければ、捕虜となる特権を有します。
 武器を置いて降伏した軍人を殺害することは禁じられています。

第二三条
 特別の条約を以て定められた禁止行為のほか、特に禁止する行為はつぎのとおりである。
(ロ)敵国または敵軍に属する者を背信行為を以て殺傷すること。
(ハ)兵器を捨て、又は自衛の手段が尽きて降伏を求める敵を殺傷すること。

 私服を着た軍人を捕らえて武装解除した時点で、戦闘行為は終了です。
 保護しなければならない捕虜を大量に処刑した行為は、明らかにハーグ協定違反です。
 まして命を助ける旨を伝えて大人しく降伏させたあと、だまし討ちのように処刑するような行為は、それこそが背信行為であり、許されません。

 否定派が「便衣兵」という場合、私服に変装した軍人と私服のまま戦う市民兵を区別していません。誰であれ私服で戦うことが一切許されていないかのような誤解がはびこっていますが、間違いです。
 協定第二条に明らかなとおり、組織されておらず、制服を着ていない市民兵さえも、戦闘地帯においては捕虜となる特権があります(群民兵といいます)。
 祖国を防衛する権利はすべての人民に備わっているからです。

第二条(群民兵
 占領されていない地域の人民であり、敵が接近するにあたって、第一条の規定にしたがって編成する余裕がなく、侵入軍隊に抵抗するため自ら兵器を執る者が、公然とその兵器を携帯して、かつ戦争の法規慣例を遵守するときは、これを好戦者として認める。

 なぜ占領されていない地域に限定するかといえば、占領地にあっては群民兵と市民との見分けがつかないからです。
 しかしながら、南京戦において市民兵や市民に偽装した軍人が相当規模で戦闘したという記録は見あたりません。

ここで重要なのは、「ハーグ」第2条、すなわち「軍服を着ていない」状態でも「指揮官」がいない状態でも(侵略された側の人間は/戦争の法規慣例を遵守すれば)捕虜となる特権があるという私的である。
つまり、「ハーグ」において、「軍服を脱いだだけで捕虜になる特権を失う」などという解釈が成立する余地はないのだ。少なくとも「群民兵」と同様に捕虜になる特権を有する、というのが妥当な法解釈だろう。
このdondoko9876さんの指摘に対し、tdamさんからの反論はない。


また、「権利と義務は等価」というtdamさんの考えに対し、sutehunさんは厳しい批判を加えている。

sutehun
同一人に帰する権利・義務は対価関係にあるものではありません。
ある行為の一方当事者である甲の有する権利に対応し、当該行為のもう一方の当事者である乙は、甲の有する権利を保護する義務を負う。権利と義務とはこういう関係にあります。
こいつは法学の基礎です。初歩以前の問題です。

これを踏まえ、私が「「権利と義務は対価である」という(奇妙な)論理」と述べたことに対し、

そもそも、「権利と義務は対価である」のは奇妙な論理ではなく、普遍的な慣習法だと思います。

いや全く、法学の基礎ができていないようだ。
法律用語辞典でも「権利」と「義務」は対義語という位置づけになっていない。法学的には、たとえば納税の義務は「権利」と対価になっていない。(逆も同様)。

ここまで法学の基礎を無視して議論されると困ったものである。
(「慣習法」についても、法学的な知識を踏まえているのか、きわめて疑わしい)


結論から言えば、実際に「便衣戦術による戦闘行為」を行わない限り、民服に着替えた中国兵は何らハーグ陸戦条規に違反していない。従って日本軍に「処刑」されるいわれは全く存在しない。
無裁判処刑が合法か不法か、という議論以前の問題である。

*1:これ以外の要素については後日エントリで取り上げる