新たな「解釈否定論」?(補足;解釈否定派の「倒錯」について)

※久しぶりに南京事件について書いたので、アップ後いろいろ加筆しました。1/6 1時15分で加筆終了です。申し訳ない。

http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20110103/p1のコメント欄
id:tdamさんのコメント。

また、戦闘詳報に書かれたその「捕虜」が、いわゆるハーグ陸戦条約における捕虜(第1条の4要件を満たす=捕虜としての権利がある)と同一という根拠は何ですか?「捕まえた便衣兵」という意味かも知れませんし、なんともいえません。

id:tdamさんの意図は分からないが、「解釈否定論」に悪用される恐れがあるので、いちおう反論を加えておきたい。
参考;6年近く前のエントリhttp://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050515


「捕虜」と戦闘詳報に記載されている以上は、その者を「捕捉」した、ことを意味する。
それが交戦資格を持つ者(正規兵、交戦者資格を持つ民兵)であろうと、持たない者(交戦者資格を持たない民兵)であろうとも。
留意すべきは、「捕捉」した時点で、その(捕捉した者との)「交戦」は終了している、ということだ。


・仮に、その者が交戦資格を持つ者の場合、「捕まえた(=捕捉した)」時点で(その兵士との)交戦は終了しているので、殺害することはできない。

・仮に、その者が「捕まえた便衣兵」の場合でも、それが「便衣戦術で交戦した」正規兵であるならば(いったん捕捉した以上は)殺害することはできない。
(殺害するためには、戦時国際法に違反した正規兵として、死刑判決を下さなければいけない)。

・また、その者が「便衣戦術で交戦した」民間人であっても(いったん捕捉した以上は)殺害することはできない(殺害するためには、戦時国際法に違反した民間人として、死刑判決を下さなければいけない)。



そもそも、自然法の考えに基づく限り、人は人を合法的に殺せない。その例外として、戦時国際法において、(交戦中に限り)兵士が兵士を殺すことが合法とされる。
言い換えると、いったん捕捉した以上は(死刑判決なしに)殺害できないのである。


また、南京事件否定派が根拠に持ち出す「ハーグ陸戦条規」にも
・「正規兵は軍服を脱いだら交戦者資格を失う」などという規定は存在しない。(言い換えると、正規兵は軍服を脱いでも正規兵である)
・交戦者資格を持たない者ならばフリーハンドで殺しても合法である、という規定も存在しない。
(従って、「ハーグ陸戦条規」を根拠に、「便衣兵は(捕捉後)殺しても合法である」などと主張すること自体が荒唐無稽だと思うのだが…)


そして、当時の南京で、日本軍が「軍事裁判」を行った記録は一切確認されていない。それもそのはず、法務部は殆ど機能しなかったのだから。
したがって、南京事件の日本軍に、捕捉した者を殺害する正当な根拠となるものは、全く確認されていない。





以下補足。

…さて、この手の議論は往々にして「侵略した側」が「侵略された側」を裁いたり、殺害することに対し「疑義をはさまない」ことが前提になっている。しかし、私個人は、侵略された側が生き延びるために行ったことに対し、「侵略した側」が裁く(あるいは不法行為と判断する)行為そのものに、正当性(正統性というべきか)はほとんど存在しないと考える。

そもそも日本軍が「侵略した」行為自体が不当だし(不戦条約違反だし)、南京の日本軍には一人の人間を殺す権利も、一発の銃弾を撃つ権利もなかったはずである。南京は国境上の都市ではない。海岸線から300kmも内陸にある。そんなところに日本軍が侵攻すること自体が不当だろう、当時の価値観に基づいても。

先に不当な侵略行為を行った軍の「侵略行為」を不問にし、それに対する被侵略国兵士の行為を「不法」だと主張すること自体が、ある種の「倒錯」的態度ではないだろうか。
そして南京事件否定派が批判されるべき点は、細かい解釈問題以前に、この「倒錯」的態度だと思う。