萩原朔太郎「無良心の仕事」の作品、「南京陥落の日に」

土曜日、朝日新聞で見かけた記事。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201011060180_02.html

■「弱い人間」以前謝罪

 戦時中は三好達治高村光太郎ら大半の詩人が戦争詩を書いた。メディアの責任もある。

 萩原朔太郎は「南京陥落の日に」を、朝日新聞の記者から〈強制的にたのまれ、気が弱くて断り切れず〉(丸山薫あて書簡)一晩で書いた。〈こんな無良心の仕事をしたのは、僕としては生(うま)れて始めての事〉だったという。

 戦争詩を書いた詩人のほとんどは戦後、作品を闇に葬り、口を閉ざした。書いた経緯を明かした詩人は高村光太郎小野十三郎(とおざぶろう)、伊藤信吉らわずかで、まどさんほど強く自己批判した詩人はいない。鮎川信夫が半世紀前に指摘したように、問題は戦争詩を書いたか書かないかではなく、書いたことを隠したり弁解したりして反省がない点だった。

 私が別の取材で96歳のまどさんに会ったとき、突然こう語り始めたことがある。

 「私は臆病(おくびょう)な人間です。また戦争が起こったら、同じ失敗を繰り返す気がします。決して大きなことなど言えぬ、弱い人間なんだという目で、自分をいつも見ていたい」

 命の尊さを表現する自分がなぜ戦争詩を書いたのか。100歳の詩人はおそらく今も後悔しつづけている。まどさんが危惧(きぐ)するような時代がもし再び訪れたとき、どうするのか。68年ぶりに日の目を見た戦争詩「妻」は、詩人に限らず、すべての表現者に、重い問いを投げかけている。(白石明彦)

萩原朔太郎が自ら「無良心の仕事」と評した「南京陥落の日に」は、以下のような作品。

南京陥落の日に

歳まさに暮れんとして
兵士の銃剣は白く光れり。
軍旅の暦は夏秋をすぎ
ゆふべ上海を抜いて百千キロ。
わが行軍の日は憩はず
人馬先に争ひ走りて
輜重は泥濘の道に続けり。
ああこの荒野に戦ふもの
ちかつて皆生帰を期せず
鉄兜きて日に焼けたり。

「東京朝日新聞昭和12年12月13日

しかし、ありがちなプロパガンダ詩とは異なり、いろいろな解釈ができうる作品だと思う。