「社長 島耕作」の「尖閣」問題解説に異議あり

週刊モーニング」2010年47号(10/21発売)の「社長 島耕作」(作者:弘兼憲史)で、4ページにわたって「尖閣諸島問題」をめぐる応答が。*1
とりあえずツッコミを入れてみよう。


大町の「日本の領土って歴史的証拠は?」という質問に対する、島の解説。

領土というのは 簡単に言うと 一番先に「ここは自分の領土だ」と宣言した国のものになる

ところが、井上清の1972年論文「「尖閣」列島−−釣魚諸島の史的解明」によると、同地域はもともと清国の領土だった。mediad ebuggerにおける要約を引用。

明治維新以前の日本・琉球尖閣諸島=釣魚諸島に関する文献(林子平『三国通覧図説』など)は、いずれも中国の文献に依拠したものであり、尖閣諸島=釣魚諸島を中国領としている


さて、島は以下のように続ける。

「日本は1895年沖繩県に編入したと宣言し、当時の清国から異議はなかった」

これも、先述の井上清論文を見る限り、かなり怪しい。というのは、「沖繩県に編入したと宣言」などしていないからだ。つまり、秘密のうちに強奪していたのである。
井上論文から引用。

しかし、日清講和会議のさいは、日本が釣魚諸島を領有するとの閣議決定をしていることは、日本側はおくびにも出していないし、日本側が言い出さないかぎり、清国側はそのことを知るよしもなかった。なぜなら例の「閣議決定」は公表されていないし、このときまでは釣魚島などに日本の標杭がたてられていたわけでもないし、またその他の何らかの方法で、この地を日本領に編入することが公示されてもいなかったから。したがって、清国側が講和会議で釣魚諸島のことを問題にすることは不可能であった。


その後、島は「その後人が住み、昭和15年無人島化」「中華民国の感謝状」(詳しくはここ参照)に触れたのち(上の画像参照。あとでテキスト化する予定)、こう述べる。

「特に日本が敗北した後 サンフランシスコ条約で 日本はこれまで手に入れた領土は放棄されたが その中には 尖閣諸島は含まれていない…つまり 国際的に尖閣は 日本固有の領土だと 認められていたことになる

これも、かなり苦しい。というのは、サンフランシスコ講和条約中華人民共和国は関わっていないのだから。
つまり同条約の時点では、日中の領土問題は「未解決」なのである。
井上清は以下のように述べる。

また、第二次大戦後の日本の領土処理のさい、中国側が日本の釣魚諸島領有を問題にしなかったというが、日本と中国との間の領土問題の処理は、まだ終っていないことを、この社説記者は「忘れて」いるのだろうか。サンフランシスコの講和会議には、中国代表は会議に招請されるということさえなかった。したがって、その会議のどのような決定も、中国を何ら拘束するものではない。また当時日本政府と台湾の蒋介石集団との間に結ばれた、いわゆる日華条約は、真に中国を代表する政権と結ばれた条約ではないから−−当時すでに中華人民共和国が、真の唯一の全中国の政権として存在している−−その条約は無効であって、これまた中華人民共和国をすこしも拘束するものではない。
すなわち、中国と日本との間の領土問題は、まだことごとく解決されてしまっているわけではなく、これから、日中講和会議を通じて解決されるべきものである。それゆえ、中国が最近まで、釣魚諸島の日本領有に異議を申し立てなかったからとて、この地が日本領であることは明白であるとはいえない。

というわけで、「尖閣ー釣魚台は日本の領土である」というデフォルトは存在しない、と考えたほうがよさそうだ。
清国の領土を日本が「こっそり」奪い、戦後も未解決の領土問題(日・中・台)と認識するのが自然だろう。

最終的には、尖閣−釣魚台は、南極大陸のような「共同管理」地域にするのが望ましいのではないか。領土争いなんて虚しい、と敢えて言いたい。人類は、南極のような「非領土化」の知恵を、既に持っているのだから。

*1:愛人の大町久美子に説明するというかたちを取っている。あほくさ。