ここ数日間の議論について

正月早々、「はてな」内で歴史修正主義/南京事件の議論が盛り上がるとは思ってもみなかった。

発端は「ぼやきくっくり」コメント欄における「はしげた」さんの奮闘
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid412.html
これを12月17日に私が紹介、
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20071217
1月1日に九郎さんがやりとりを詳しく紹介したところ、163ブクマの大反響。
http://d.hatena.ne.jp/claw/20080101/p2



ここからいろいろな人の発言が生まれていくのだが、例えばfromdusktildawnさんのエントリ。
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080103/1199312777


このfromさんの発言に対する批判を含めて、Close to the Wallさんが主要な論点を全て提示されているように思います。
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080103/p1
http://d.hatena.ne.jp/CloseToTheWall/20080103/p2
例えば、fromさんが「素人」であると称しながら、「素人」では取りえないはずの前提に立って発言しているという矛盾について、Close to the Wallさんは以下のような的確な指摘をされています。

彼が上記記事について素人の立場に立つなら、上記記事で反駁されている意見が否定論のすべてとまでは言えないのではないか、と疑問を表明することは可能だ。しかし、なぜか彼は「正しい意見を間違っているかのように印象づけるテクニック」を使っていると断じている。これは不思議だ。こう主張する為には、彼はそこで反駁されている意見以外の否定論を知悉しており、なおかつそれ以外の否定論が正しい意見であることを確信していなければならない。説明しろ、証明しろとまでは言わないが、彼は否定論がなぜか一貫して「正しい」ものだとなぜか無根拠に前提にして書いている。そして否定論への反論をなぜか「間違った意見」とたとえている。

どういうことなのだろうか。素人ではなかったのか。ある一部の意見が否定論のすべてとは言えないのではないか、という以上のことは言えないはずだ。彼は、「ある正しい意見Aを主張している人が10人いたとする。」という部分は「ある意見Aを主張している人が10人いたとする」と書かねばならないはずだ。

「ある意見」の一部が間違っていたからといって、その意見すべてが間違っているとは言えないというのはその通りだ。しかし、だからといって、そこで反駁されている意見以外の意見が正しいことにもならない。そして、素人であるはずのfromdusktildawn氏は、なぜそこで反駁されている意見が否定論のうちの「一番的外れな議論をしている1人の意見」であると判断できるのか。そう判断するためにはやはり否定論をかなり知悉している必要がある。私見では、そこでの否定論は10人中8.9人が主張する意見だと思うのだが。

一見南京事件否定論への距離を表明しながら、細部の喩えや文章の端々で、なぜか一貫して否定論を正しいものと前提しているのは悪質な印象操作でなくてなんなのか。