「南京大虐殺」概念について

南京大虐殺」という言葉は、私は基本的に使用していません。
南京大虐殺」の定義ですが、私は1937年-38年の南京での「大規模な虐殺」という意味ととらえています。
ここでは「大」の定義、「虐殺」の定義の2点が問題となります。


まず「虐殺」の定義は複数考えられます。私もはっきりと結論を持っているわけではありません。ただ、最低限の基準として、当時の戦時国際法に違反した殺害は全て「虐殺」であると判断します。具体的には、民間人の殺害は全て「虐殺」、捕虜の殺害は全て「虐殺」と判断します(裁判による死刑判決文が存在するものは例外となるでしょうが)。国際法で「殺してもいい」対象ではないのですから。
南京事件を研究する日本の歴史学者もみな、最低限のものとしてこの基準を採用していると思います。


次に「大」ですが、これは多様な主観的解釈が存在するでしょう。大雑把にみて100人以上、1000人以上、10000人以上…という基準が考えられます。これについても私は確かな見解を持っているわけでありません。しかし、最低でも「10000人以上」の虐殺は「大虐殺」と呼ぶことに問題ないと思います。
なお、南京事件では捕虜殺害だけでも10000人以上に及ぶ(日本軍史料より)ようですので、最低限の基準に鑑みても「大虐殺」はあった、と判断されるでしょう。
ちなみに、あの潜水艦さんは通州事件を「通州大虐殺」と記しているので(http://d.hatena.ne.jp/jujo/20070505参照)、彼にとって200名以上の虐殺は「大虐殺」となるようです。


なお、「南京大虐殺」を「30万虐殺」とローカル定義して、それを否定するという手法に対し、私は昨年11月に、「ローカル定義症候群」と呼んで批判しました。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061129