稲田朋美氏の新著、予想どおり「秦郁彦論文」をスルー

百人斬り裁判の原告側弁護士、稲田朋美氏が文春新書から『 百人斬り裁判から南京へ』という新著を出した。
http://www.bunshun.co.jp/book_db/6/60/56/9784166605668.shtml

題名に反して、南京事件全体に対してはほとんど言及がない。
そして百人斬り裁判に関しては「不当判決」という姿勢で一貫している。

しかし東中野修道氏・北村稔氏が「日本軍史料隠し」したうえで南京事件否定論を構築するのと同様に、稲田氏の今回の著作も「史料隠し」「証言隠し」のうえに成り立っている。


稲田氏が隠した史料;大阪毎日新聞鹿児島版
(問題とされた「東京日日」浅海記者の記事とは別に、N少尉自身が地元の友人に書信を送り、自ら百人斬りを自慢している)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/oosaka-mainichi.htm

このほど豪快野田部隊長が友人の鹿児島県枕崎町中村碩郎氏あて次のごとき書信を寄せたが

南京入城まで百五斬つたですが、その後目茶苦茶に斬りまくつて二百五十三人叩き斬つたです、おかげでさすがの波平も無茶苦茶です

戦友の六車部隊長が百人斬りの歌をつくつてくれました

裁判でこの新聞記事は被告側から提出されたが、稲田氏の新著では「後追い記事である多数の新聞記事など大量の証拠を提出し」(130頁)と言及されるのみで、上記の「大阪日日新聞鹿児島版」の記事の内容は紹介されていない。



稲田氏が紹介しなかった論文;秦郁彦氏論文
秦氏は昨年、N大尉が「地元の小学校/中学校で捕虜殺害を自ら公言していた」ことをヒアリング調査し、その結果を明らかにしていた。志々目彰氏の証言と同内容の証言を得たわけである)
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20061223

次の論点は投降した捕虜処刑の有無だが、筆者は志々目証言の裏付けをとるため、志々目が所持する鹿児島師範付属小学校の同級生名簿(有島善男担任)を頼りに一九九一年夏、数人に問い合わせてみた。明瞭に記憶していたのは辛島勝一(終戦時は海軍兵学校75期生徒)で、野田中尉が腰から刀を抜いて据えもの斬りをする恰好を見せてくれたのが印象的だったと語ってくれた。

 また北之園陽徳(終戦時は海軍機関学校生徒)は、「(野田は)実際には捕虜を斬ったのだと言い、彼らは綿服を着ているのでなかなか斬れるものではなかった」と付け加えたと記憶する。他の三人は野田が来たのは覚えているが、話の中味はよく覚えていないとのことであった。

(中略)
鹿児島一中の三年だった日高誠(のち陸士五十八期を卒業)は、野田が全校生徒を前に剣道場で捕虜の据え物斬りの恰好をして見せたのを記憶している。彼は違和感を持ったが、あとで剣道教師からも「とんでもない所行だ」と戒められたという。

しかし稲田氏は志々目証言が「唯一の証拠」と言及するのみで(146頁)、上記の秦論文の内容はもとより、存在にも言及していない。


※稲田氏は、望月五三郎手記に対しては10頁前後にわたって反論を加えている。
(望月五三郎手記)
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/mochiduki.htm


弁護士の著作なので公正さを要求することはお門違いなのかもしれないが、稲田氏の提供する史料や証言だけでは「百人斬り」問題を正確に理解することはできない、ということだけは断言できるだろう。