東京大空襲訴訟と「不作為責任」

昨日のコメント欄より転載。

# Gedol 『ども。
あの・・・この訴訟、槍玉に上がっている「恩給」は「公務員に対する損害補償(使用者責任によって生じる債務)」なのでそもそも「戦争被害に対する補償」じゃありません。したがってシェアがどうとかという問題じゃないんですけど。だからわざわざ「不作為による損害の賠償」という形を取ってるワケで。時効の問題が横たわっている上因果関係の証明が激ムズなので訴訟としては無理筋ですけど。

まぁむしろ「一般人の戦争被害に対する補償が不備である」という主張として「報道する価値すら無い」ってよりは「報道される事にこそ価値がある」ってコトだと思うんですけどね。』 (2007/03/18 23:55)

# bluefox014 『なるほど。しかし片方が「公務員だったら損害補償」する、片方が「公務員ではないからまったく損害補償しない」という方針が、国民全てを巻き込んだ総力戦への損害賠償として妥当か、という問題は成立すると思うのですけどね。訴訟の勝算可能性は厳しそうというのはななんとなく判ります。』 (2007/03/19 01:17)

自コメントに補足。
現時点での、自分なりの理解は以下のとおり。
(1)本来、「総力戦への損害賠償」という文脈で考えた場合、空襲被害者に対しては立法措置(特別法を制定し補償政策を行う)のが筋であった
(2)しかし国(立法機関)は不作為だった
(3)問題の放置(不作為)のまま、タイムアップを待つ(被災者の死亡による「風化」)という国の方針が決定的に見えてきた
(4)そこで被災者は国(立法府)の不作為責任を追及するため、司法的手段(提訴)をとった


不作為責任を考えた場合、私自身にもその責任の「一端」はあると思う。
※いっぽう、昨日のコメント欄のApmanさんの指摘は独立した問題として重要である。これは後日に。